男女論。
twiiterなどで出回り、多くの男たちが気味悪がる、
女作者絵師の男体化表現。
なぜあれはあんなにも吐き気を催すのだろう?
なぜあれはあんなにも気持ち悪いのだろう?
「女が考える男」が、我々男が考える男と、だいぶん違うからだ。
どう違うのだろう?
「女が考える男」に欠落している最大の無意識は、
「男たちは、猿山の序列内に常にいる」という無意識である。
男同士が集まれば、身内でない限り、必ず序列化を行う。
喧嘩から、スペックの自慢し合いから、ガタイの良さとか、金持ちそうかとか、
押しが強いかとか、頭が良さそうか、とかだ。
「この男は俺より上か下か」を、男は会って数秒以内に判断する。
会って数分で上下の決着をつける。
立場上は上だが、喧嘩ならこちらだとか、
走れば勝てるとか、
金はこっちが持ってる、とかだ。
場合によっては負け惜しみになることもあるが、
相手を下に見たい部分があり、この面なら勝てるということを探すものである。
たとえ身内であっても同じである。
基本は年功序列だが、
稼ぎや学歴など、男社会で重視されるものによる順列付けがあるものである。
さて、これは男なら全員が知っている男社会の話である。
これを、女は知らない。
知らないから、
ちんこがついていないような、女みたいな生物を描く。
これが気持ち悪いのである。
男がほとんど生得的に持つ、
「猿山の序列(主に本能的強弱、次に社会的地位)を知り、
自分の立ち位置を確保する」
機能が失われているのである。
ちなみに、男は女を下だと思うから口説ける。
これは女として知っておくとよい知識だ。
猿山では、上にへつらい下に強く出れるからだ。
だから男が女を愛するとき、
女神のように上に見るか、
焼きそばパンを買いに行かせるような、下っ端扱いしかしないのである。
これは上下関係を主とする、男の社会的本能である。
(生得的か後天的文化かは不明)
道行く女を採点しては序列化したり、
自分の喜び組の女を一番から順列づけるのもそういう本能によるものだ。
これがない男は、ちんこがついていないように、男からは見える。
だから気持ち悪い。
BLの男は、我々男から見れば男ではない。
あれは男の形をした中身が女である。(そういうのをホモというのかも知れないが)
腐女子の男体化が気持ち悪いのは、
男がホモを嫌うのと同じ気持ち悪さなのだ。
さて、女性の方はほんとうにそうかと思うだろうか?
ためしに、男絵師の女体化を調べてみるといいかも知れない。
(あるのかな)
男たちが獲得していない、女の持つ無意識を知ることが出来るだろう。
男の好きな百合は、女にとって気持ち悪いものだと知るだろう。
(僕も完璧に分かったわけではないのだが。
女は好きと嫌いの間に多くの感情がある。
男は二個しかない。だから男の絵師はその多彩さを描けない。
上下関係は関係なく、自分と仲いいかどうかが軸になる、などなど)
BLと百合は、それぞれの持つ無意識の反映だ。
それぞれの違いを見るのに最適な題材である。
違いを嫌うのか、違いを愛するのかは、人それぞれだけど。
どちらにせよ、それぞれの特徴を理解し、使い分けられなくては、
物語など書けない。
男女の違いだけでなく、年齢の違い、出身の違い、家族観の違い、
イデオロギーの違い、文化の違い、人種の違い、
生きている者と死者の違い、
などなども書けなきゃだめなんだけどね。
腐女子の男体化は何故気持ち悪いのか?
別のものにならなければならない所に、
同じものがあらわれている気持ち悪さである。
同じものが等間隔にひたすら並ぶのを、美しいと思うか、
嫌だと思うか、という価値観にも根ざしているかも知れない。
2015年10月07日
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ブスのそのままの姿なんか見て楽しいわけがない
BL好きな女どもの求めているものはファンタジーで
ゴミみたいな自分たちも含めた小汚い現実とオマエさんののたまう男社会の屁理屈でも無い
脳内で作り上げた美化した造形物さえありがたがれれば
それで周りは喜んでくれるから何だよ
インチキオンリー、これ以上腐どもになに求めたいのか
ここは物語を研究するブログです。
そのようなファンタジーが出来るのはなぜか、
そのようなファンタジーが受けるのはなぜか、
そのような新興宗教的な人間関係が出来ていくのはなぜか、
そしてそれを排斥する社会の仕組みとはなにか、
みたいなことに僕は興味があります。
彼女たちに何かを求めているわけではありません。
ただ、理解できないものを理解したいのです。
彼女たちと違う生理を持つ生き物が、なんとか理解しようと頑張っております。
アメリカ人が日本人を理解する程度の精度なのはお許しを。
小説を書いている者です。
面白い話を書きたいと思い、一年ほど前から
こちらのブログで勉強させていただいています。
脚本論の記事は大半読みました。
いつも実践的かつやる気の出る記事をありがとうございます。
こちらの記事は見落としていましたが、
何かしらお話しできそうな話題だったので、コメントさせていただきます。
女絵師の男体化は、一種のセラピーだと思うのですね。
BLは、恋愛への興味と、自己の性の受け容れ難さの間に
生まれる側面があります。
その上で男体化を試みるのは「性的対象である自己」を
もう一度受け容れ直す作業なのかな、と。
女絵師の男体化は「女である自己」の話なので、
そういう意味で監督のご指摘は正しいと思いました。
でも、自己を受け容れるためにやっていることですから、
本人にとっては前向きな気もします。
セラピーの過程など人が見たらそりゃ気持ち悪いよな、
ということなんじゃないかなーと。
ついでに、なぜそんなものを公開するのかですが、
公開して周囲から承認されることがセラピーに含まれているからだと思います。
ここから物語づくりに対して還元できる何かを得ようとするなら、
「(一部の?)女子は、女である自己を受け容れることに
非常な労力(と苦痛)を抱える」というあたりでしょうか。
でも、男子にもあるんだと思うんですけど。
少年が大人になる話と同列かもしれません。
とすると「周囲からの承認」を必要とする部分のほうに
女子の特殊性があるのかも。
男の承認欲求は、
「上位の者に認められないと意味がない」と思い込んでいる節があるかもしれません。
女は「周囲に」かもですね。
男の方が孤立しやすいのは、そういう原理かもしれません。
(老人ホームでも、男性は友達をつくらないのだそうです)
SNSは、もうちょっとメンバー限定みたいになるといいかもですね。
実際女の心理なんてほんとの所は分からないんですが、
ぼくは女の人がすきです。
それは、自分と違うからなんだと思います。
男絵師の女体化がなぜないか、という発展形も議論できそうです。(あるのか?)