2015年10月11日

原稿用紙換算

ワードの原稿用紙換算、昔アンドゥ出来ないと書きましたが、
そうではなかったです。
原稿用紙→原稿用紙設定にする/しないで、
原稿用紙換算モードと元ファイルモードを行き来出来る模様。

とは言っても長い原稿の変換に時間がかかって怖いので、
コピーしたファイルで原稿用紙換算をしたほうがよいです。


さて、これだけではなんなので、
試しに「遠野SOS」を原稿用紙換算してみたところ、
100枚、つまり映画脚本にして100分ぶんの枚数を書いていたことが判明。
あれ映画一本ぶんだよ→そうでもなかった
→やっぱ映画一本ぶんだった(今ここ)
のようですわ。
テレビスペシャル、という尺感は、合ってたってことですな。

これだけではミニ情報なので、
解説をば。


遠野SOSの構成的解説。


小説の原稿用紙換算が、
必ずしも映画脚本の原理を使えるとは限らない。

が、俺は脚本出身。無意識に脚本のペースで書く。
(ていうかそれしか出来ない。小説のペースが分からないし)
ということで、恐ろしいほど脚本のペースで書かれていたので、
検証してみたい。


全体の構造は、一見窓辺系だ。
自信を失った主人公が故郷へ帰り、
そこの人々(とくに象徴的父親)に認められ、
自信を回復して帰還する構造をしている。

しかし窓辺系との相違点がきっちりとふたつある。

自信の象徴が絵になっていること
(火の剣小鴉が折れたこと、
その修復が帰郷のそもそもの目的であること、
かつ自信回復の報酬としての小鴉修復があること。
窓辺系は気持ちを描くだけで絵に出来ない。
精々、顔の表情違いでしかない)

と、

東京で得た主人公ならではの活躍が、
きちんと描かれることで故郷に認められる、
という積極的メインプロットが中心にあることだ。
(窓辺系はただなんとなく認められたいメアリースーである)

つまり、メインプロットがあり、原因と結果が、
イコンになっているのである。
(フロイト的に言えば、男根の不能から回復だ)
それを窓辺系と似た、帰郷と帰還の構造を利用して描いているだけである。
中身のない(積極的メインプロットのない)窓辺系とは全く違うことに注意せよ。


ということで、節を中心に構成を見てみる。
数字は原稿用紙換算ページ/累積。

1: 小鴉折れた、修復出来る飛天に会うこと、遠野の妖怪に心の闇が。12/12
2:河童淵。大天狗と再会。心の闇の名前が分からない。6/18
3:河童淵。遠野の妖怪分布。彼らに話を聞こう。6/24

4:続石の百鬼夜行たちの様子を聞く。10/34
5:安部が城の百鬼夜行たちの様子を聞く。シンイチ思いつく。8/42
6:芝居で鬱憤を晴らす、飛天登場、ドントハレ、召集の稲妻。26/68
7:天狗の道を探す、十天狗登場。8/76

8:十天狗会議、宴会。22/98
9:翌朝。4/102

全体102に対し、1/4は25。
一幕、二幕、三幕が、24、52、26
となっている、理想的な配分だ。

第一ターニングポイントは、
河童淵のウリの状況、心の闇がいつもと違って分からないことを受け、
「全妖怪の話を聞こう」だ。
センタークエスチョンは、
「妖怪たちに取りついた、名前不明の心の闇退治」である。

第二ターニングポイントは、
十天狗登場だ。
遠野を統べる王たちがシンイチに会うクライマックス直前である。

センタークエスチョンがここで深く変わる。
そもそもてんぐ探偵としての心の闇退治は、どんな意味があるのか、
にである。
ことはシンイチのアイデンティティーになってくるのだ。
これは即ち、冒頭から振られていた、
小鴉の折れたことによる、
自信喪失が問われていることになる。

実際、それは不安が原因なのだと、
心の闇「不安」退治で鮮やかに示された。

つまりこの話の真のセンタークエスチョンは、
不安とどう向き合うか、
という物凄い大きな話なのである。

具体的なものを使いながら、
それは全て心の中の問題の象徴、
というのがてんぐ探偵の特徴だ。
(まあ、心の中のことを描くもの共通の特徴だけど、
それを心の闇というの妖怪退治の形式でやっているのだ。
僕は未読だが、京極堂シリーズも多分そうなのだろう)


長い二幕の、ミッドポイントはどこに当たるか。
ページ数でズバリ真ん中は、
シンイチが妖怪の名前「不安」を当てるところだ。

かりそめの勝利、というブレイクシュナイダーの予言を見事に体現している。

ということで、第一、第二、ミッドポイントともに、
きちんと主題であるところの、
不安との向き合いに、全て関係している。
(不安という名前は分からないが聞き込むことで正体を明らかにしよう、
不安という名前が分かった、
十天狗がシンイチの不安を覗きに来る)

構成上の最重要点が、主題の展開になっている。
ここが映画的かもしれない。
(しかも尺的に理想的であること)


僕は二幕を描くのが苦手だけど、
比較的この二幕に関しては迷わずに書けた記憶がある。
実は、ブレイクシュナイダーの二幕のポイントを無意識にクリアしていたからだ。

二幕前半のお楽しみポイント:
いわば遠野観光案内と妖怪案内。
地理的案内と百鬼夜行たちがお楽しみだ。
次々出てくる妖怪たち、遠野蘊蓄の楽しさだ。

ミッドポイント:
かりそめの勝利。
妖怪の名がわかり、それを告げる。

迫り来る悪い奴ら:
飛天僧正登場。大天狗と憎みあっていて、必ずしも味方ではなさそうなこと。
(少女漫画的に言えば、
主人公シンイチは、昔から好かれていた大天狗と、
仲の悪い悪者だが魅力的な飛天とに、取り合われるという展開)

この話は正義対悪の話ではないが、
一触即発の、一筋縄ではいかなそうな感じは、
危機を孕んで緊張感を保つ。

死の予感:
夜の真の闇。
これを経て生まれ変わるのだ、という象徴的死。
一人で天狗の道をゆけ、
という、死を潜り抜ける試練である。

このパート(7)は、展開的にいるかなあ、
と理性では疑問に思いながらも、
直感的にいるなと思いながら書いていた。
不安退治のカタルシスから十天狗へ直結すればいいのに、
一旦ここでクールダウンしたのは、
死の予感を入れ込むことで、
十天狗会議での不安をどう晴らすかという話に直結できるのだ。
(発表版ではここ少し弱いのだが、
現在リライトしているバージョンでは、
シンイチは天道坊に答えて、
「誰でも、妖怪たちすら不安になるんだ。不安が心の闇の原因かも知れないね。
不安なら、その人と話して不安を取り除いてあげるのが一番だよね?
それが、大天狗の言う、オレの力かも知れない」
というわりと重要な台詞を言っている)


ついでに、一幕の構成を見ておこう。
最初のセットアップ(小鴉が折れたが、飛天なら直せる)を終えて、
使者であるキュウが現れ、遠野へ行こう、となるまで、
一幕の半分を使っている。
全体のお話の中で、ここを第一ターニングポイントとしてもよかったが、
恐らくそれだと、「心の闇の名前が分からない」というネタにはならなかっただろう。
「旅に出る」が第一ターニングポイントになる話はとても多い。
それは、日常と違うスペシャルワールドの入り口がそこになるからだ。

ところが、スペシャルワールドは遠野妖怪世界ではない。
「名前の分からない心の闇、不安な状態」というのが、
今回のスペシャルワールドなのである。

従って、名前が分からないこそ、みんなに話を聞こう、
というのが第一ターニングポイントに当たるのだ。




さて、これらの構成的ページ数は、
計画的なのか?
実は、否なのだ。
これに何ページ使おう、なんて計画していない。
無意識でやっている。

大枠の話はあった。

窓辺系の構造、小鴉の修復という大枠の目的、
心の闇の名前が分からないというスペシャルワールド、
河童淵→続石→安部が城という調査ポイントと、
そこで出てくる百鬼夜行たち、
マヨヒガでの大芝居(ここでシンイチが芝居をしやすいように、
前段階で妖怪を慎重に選んである。
面白げな妖怪を妖怪大百科やらWikiやらでピックアップし、
そのリストを見ながら考えたのだ。
そのとき余った妖怪は、あとから名産を持ってやってくることにした)、
十天狗会議(それぞれの天狗のキャラ)、
などは、
執筆前に大まかな流れを作っていた。

が、あとはアドリブで執筆したのである。

僕は脚本のペースが身に染みているから、
小説なのに、
脚本の構成ペースに結果的になってしまっただけの話だ。

よく分からないが、結果的にはテンポ感として、
読者には感じられると思われる。



自分の原稿をワードで書いてる人。
ときどき原稿用紙換算してみよう。
テンポや構成の秘密を、尺感から学ぼう。

ライティング中よりも、リライトで威力を発揮するかも。
(ここ削ろう、ここ足そう、この辺りでこういう役割のエピソードが必要、
この役割のエピソードは、この辺にいるべき、など)
posted by おおおかとしひこ at 12:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック