2015年10月12日

上手い台詞とは、リアルな台詞ではない

喫茶店での会話を30分録音して書き起こすとか、
どこかの会話を一時間録音して書き起こすとか、
やってみるとよく分かる。

リアルな台詞って、ほんとに詰まらない。
滅茶苦茶で支離滅裂で、整理されていない。
行ったり来たり、不十分で、退屈だ。

台詞というものがいかに洗練されなければならないか、
おそらく痛感するだろう。


よい台詞は、上手に圧縮されている。
よい台詞は、上手に表現すべきことと表現しないことを選んである。
よい台詞は、テンポがいい。
よい台詞は、文学的手法を使っている(比喩、七五調、対句、韻、倒置法、擬人法など)。
よい台詞は、歯切れがいい。
よい台詞は、分かりやすい。
よい台詞は、無駄がない。

つまり、よい台詞は、練りに練られている。
それでいながら、一見リアルに書かれているものだ。


もしあなたが台詞が下手ならば、
まずリアルな物言いが出来るように物真似をすることだ。
たとえば駅員さんの台詞を物真似したり、
中間テスト前の女子高生の物真似をしたり、
詰まらない部長の物真似をして、
リアルな物言いを再現できるようにすることだ。
実はリアルな台詞とは、
リアルなボキャブラリーよりも、
そういうときにどういう思考をしているかという、
リアルな思考形態を知ることにある。

こういうときこう言うよね、の集合体だ。

あとは、普通の台詞を言うときにも、
その成分をまぶしていけばいいだけだ。

物真似のレパートリーが増えれば、
自分の持ちキャラが増えたと言えるだろう。

おじいさんと女子高生の会話を書けるように、なると思う。


さて。
あなたは会話の模写をするのが最終目的ではない。

映画の中の会話は、おしゃべりの為にあるのではない。
目的の遂行の為にある。
だからリアルな台詞なんて、本当はなくてもいい。
その目的を遂行するための、ヒリヒリした台詞があれば十分なのだ。
そして物語とは、目的の異なる人たちのもめ事だから、
リアルな会話より、
結果的に切羽詰まった、
よりリアルに見える会話になるのである。


台詞はいくらでも練れる。
口に出して言ってみよう。
逆の立場から台詞を言おう。
多重人格症一歩手前だ。
ある立場から違う立場はどう見えて、
別の立場からまた違う立場はどう見えて…が、
きちんと把握できていないと、
目的の異なる人たちのもめ事なんて描けない。

その複数の人たちの、練った、リアルな台詞が、
本当にいい台詞になるはずだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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