喫茶店での会話を30分録音して書き起こすとか、
どこかの会話を一時間録音して書き起こすとか、
やってみるとよく分かる。
リアルな台詞って、ほんとに詰まらない。
滅茶苦茶で支離滅裂で、整理されていない。
行ったり来たり、不十分で、退屈だ。
台詞というものがいかに洗練されなければならないか、
おそらく痛感するだろう。
よい台詞は、上手に圧縮されている。
よい台詞は、上手に表現すべきことと表現しないことを選んである。
よい台詞は、テンポがいい。
よい台詞は、文学的手法を使っている(比喩、七五調、対句、韻、倒置法、擬人法など)。
よい台詞は、歯切れがいい。
よい台詞は、分かりやすい。
よい台詞は、無駄がない。
つまり、よい台詞は、練りに練られている。
それでいながら、一見リアルに書かれているものだ。
もしあなたが台詞が下手ならば、
まずリアルな物言いが出来るように物真似をすることだ。
たとえば駅員さんの台詞を物真似したり、
中間テスト前の女子高生の物真似をしたり、
詰まらない部長の物真似をして、
リアルな物言いを再現できるようにすることだ。
実はリアルな台詞とは、
リアルなボキャブラリーよりも、
そういうときにどういう思考をしているかという、
リアルな思考形態を知ることにある。
こういうときこう言うよね、の集合体だ。
あとは、普通の台詞を言うときにも、
その成分をまぶしていけばいいだけだ。
物真似のレパートリーが増えれば、
自分の持ちキャラが増えたと言えるだろう。
おじいさんと女子高生の会話を書けるように、なると思う。
さて。
あなたは会話の模写をするのが最終目的ではない。
映画の中の会話は、おしゃべりの為にあるのではない。
目的の遂行の為にある。
だからリアルな台詞なんて、本当はなくてもいい。
その目的を遂行するための、ヒリヒリした台詞があれば十分なのだ。
そして物語とは、目的の異なる人たちのもめ事だから、
リアルな会話より、
結果的に切羽詰まった、
よりリアルに見える会話になるのである。
台詞はいくらでも練れる。
口に出して言ってみよう。
逆の立場から台詞を言おう。
多重人格症一歩手前だ。
ある立場から違う立場はどう見えて、
別の立場からまた違う立場はどう見えて…が、
きちんと把握できていないと、
目的の異なる人たちのもめ事なんて描けない。
その複数の人たちの、練った、リアルな台詞が、
本当にいい台詞になるはずだ。
2015年10月12日
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