SSや二次創作をする人がここにどれくらいいるか分からないけど。
なぜこれらは、
山なし、落ちなし、意味なし
(ヤオイの語源。今は変質してBLの意味になってるが)
になりがちなのか?
それは、ストーリーを書いていないからである。
二次創作は、萌えの為に書く。
萌えとは何かについて深く追求するのはやめておこう。
二次創作の定義通り、
既に何かの作品があり、
それの何かについて創作するのが二次創作だ。
つまり、元の何かが猛烈に好きで、
それらを本編以外の何かで味わい尽くしたい欲望が、
萌えの願望の中心にいる。
元の何かが猛烈に好きだというのが前提だ。
だから、元の何かの忠実なる再現は当然のこと、
元の何かにない場面で、元の何かがどう反応するかも自然でなければならない。
キャラが変わったり、その元の何かと離れすぎてもダメだ。
つまり、元の何かっぽい何かでなければならない。
ということは。
変化させてはならないのが、二次創作の不文律といってよい。
二次創作とは、極端に言えば、
元ネタの別世界への生まれ変わりを楽しむことだ。
(本編何話と何話の間にあったこと、みたいな補完の想像も含めて)
魂は変わってはならないのだ。
ところが。
これがストーリーと真逆なのである。
ストーリーとは変化である。
事件の発生と解決を経て、事態や人物が変化することがストーリーである。
その変化を楽しむことがストーリーであり、
その変化をする場面が山であり、
その変化をし終わったあとにどう世界内の現実に着地するかが落ちであり、
その変化が我々の現実に意味することが、意味である。
従って、山、落ち、意味とは、
ストーリーという変化そのもの(の一部)である。
つまり、二次創作とストーリー(あえて一次創作と言うか)は、
真逆の関係にある。
変化してはならないものと、変化しなければならないもの。
だから、山落ち意味が、二次創作には(結果的に)ないのだ。
二次創作に多いのは、
キャラたちの、本編にない場面での会話などだ。
彼らが本編以上に変化してしまうことはない。
(変化したとしても、本編に戻る形で終わり、
本編を変更しないことが暗黙のルールだと思う。
それは本編への愛情が前提だからだ)
だから、基本的に変化というストーリーと無縁なのだ。
仮に、本編にはないが二次創作限定の設定だとしても、
その設定が変化して関係性が破綻したり生まれたりすることはない。
あくまで生成変化流転は、本編に乗っとるものだからだ。
勿論、本編のifを創作するレベルの高い二次創作もあるだろうけど。
(ドラえもんの最終回とかね)
殆どの二次創作は、意味がない。
意味を生じるほどの変化は、本編を壊すからだ。
だから二次創作はゆるゆると楽しむのが作法だ。
二次創作は本編愛が前提だからだ。
意味を生じるほどの変化。
落ちを必要とするほどの変化。
山を必要とするほどの変化。
あなたは、そういうストーリーを書いているか。
そうじゃなければ、二次創作のほうが楽しいんじゃないか?
向いてる方をやったほうがいい。
ストーリーの創作は、二次創作と真逆だ。
それを自覚しよう。
2015年10月12日
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