通し読みの重要性については以前も書いたが、さらに追加。
書き終えて、ちょっと忘れるくらい置いておいたら、
通し読みを必ずしよう。
今回のポイントは、「退屈な箇所の発見」である。
部分的にとても面白いシーンやブロックだとしても、
じつは退屈するところが、あるのだ。
それは、その部分だけを見ていては決して気づかない。
通して読むことによってのみ発見される。
どういうことか。
「人は、同じ刺激だと飽きる」ということと関係している。
とても面白いシーン1
→とても面白いシーン2
→とても面白いシーン3
だとすると、シーン123のどれもが甲乙つけがたいほど面白い場合、
3で退屈するのである。
そんなバカな、と思うだろう。
甲乙つけがたいのなら、面白いはずだろうと。
これが通しの怖いところだ。
正解は、
まあまあ面白いシーン1
→もっと面白いシーン2
→さらに面白いシーン3
になるべきなのである。
つまり、シーン3の出来が同じなら、
12が出来が悪いほうが、
全体で段々面白くなっていく、優れた脚本である、ということなのだ。
勿論、一度完成した面白さをわざとつまらなくすることはない。
ということは、シーン2を更に面白く、
シーン3をさらに面白くしない限り、
この脚本は面白くならないことに、
注意されたい。
リライトをしていると、部分で直すことがとても多い。
手を入れやすくチェックも容易であるからだ。
ところが、そのことで全てのシーンの面白さの粒が揃ってしまう、
ということがままあるのである。
シーン123とも同じ程度の面白さに、ついつい完成度を上げてしまうのだ。
自分の出来うる天井いっぱいまでね。
これが、実は退屈を生むのだ。
とても逆説的だ。
人間は飽きる。
同程度の面白さは飽きる。
つまりテンションが下がり、退屈を覚える。
同程度の面白さを並べてはならない。
どんどん面白くしていくか、
別物の面白さにして、目先を次々に変えていくのがよい。
ターニングポイントは、その為に活用しよう。
具体的には、今てんぐ探偵傑作選2を編んでいるのだが、
各話の完成度を上げれば上げるほど、
通しで読んだときに途中で退屈する、という発見をしてしまった。
同じレベルの話が続く退屈、というちょっと贅沢なものだけど。
改善策は、
本編にもあった「小鴉が壊れる」という別ベクトルの焦点を追加して、
各話の流れより大きな流れを作ることで、ごまかした次第。
(ごまかしきれていないかも知れないので、また後日通し読みだ)
とくにこれは、ミッドポイントの前後でよくあると思う。
ドラマ風魔は、ミッドポイント以降は聖剣が登場し、別の焦点となる。
同じく夜叉八将軍戦を続けていたら、
たとえどんなに面白くとも、退屈しただろう。
ミッドポイント以前は、八将軍戦、
ミッドポイント以後は、聖剣、壬生失踪、陽炎出奔、武蔵の本気、
と、全く焦点を変えている。
この切り替えがうまく行った為、中盤の退屈が存在しないのである。
通し読みは、そのような、
「同じことをやり続ける退屈」の発見に有効だ。
これは部分を直し続けていては、一生気づかないことだ。
2015年10月12日
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