ものすごくお話を乱暴に分解すると、
変化前、変化の瞬間、変化後
のみっつの要素を書き出すことが出来ると思う。
そのみっつを並べてみることだ。
あなたの話がメアリースー的かどうかは、
その真ん中が、他人によってもたらされたかどうかで判定できる。
変化前が、
他人によるチャンスボールで、
変化後になるもの
がメアリースーだと定義したっていい。
糞実写進撃の巨人は、
たしかに巨人に食われたチャンスボールで変化している。
(そもそもエレンは内面的変化はせず、人間から巨人に外見的に変化しただけだが)
「他人になにかされることで影響を受ける」ことは、変化とは言わない。
「自分で何かを実行する際、自分で変化せざるを得ないことを知った上で、
動機の強さゆえにリスクを負いながら実行し、
成功したらそのように変化する」ことが、変化だ。
わかりにくいので、
「弱い男が告白する」例で。
告白するには勇気がなくてはならない。
しかし勇気がないから告白できないのである。
そこで、勇気を出して告白する。
成功するか失敗するかは話次第だが、
この試練を経たことで、
弱い男は勇気のある男に変化したのである。
こういうテンプレで語られるのが変化である。
メアリースー的物語だと、
告白するには勇気がなくてはならない。
しかし勇気がないから告白できないのである。
彼女はなぜかそれを察し、告白のお膳立てを整えてくれる。
結果がOKである保証すらある。
男は告白する。
結果はOK。
一人ぼっちからカップルという変化をした。
になる。
これは外面的立場的変化でしかなく、内面の変化を経ていない。
つまり、通過儀礼を経ていない、子供のまま話を終えたことになる。
変化はすべからく通過儀礼かも知れない。
危険があり、内面的な恐怖があるときに、
それを克服することで、
その恐怖に耐性が出来る成功体験、
ということを描いているのかも知れない。
メアリースーは、それが怖くて、
他人にお膳立てしてもらうことを言うのかも知れない。
つまり。
メアリースー的な物語しか書けないやつは、
まだ通過儀礼を経ていない、ガキなのさ。
はやくチンポむきな包茎野郎。
ということで、
変化前と後の間に、その原因の何があるかの、
みっつの箇条書きをしてみれば、
その変化の過程を俯瞰することが出来る。
真ん中に来るものは自発的で、他人にチャンスボールを貰ったものではない。
勿論、その変化の瞬間は、クライマックスだと思う。
そのクライマックスに向けて、そもそも物語は盛り上がっていくものである。
通過儀礼以外のパターンで、変化があり得るかについては、
またゆっくり考察してみる。
2015年10月12日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック