2015年10月14日

終わり方の分からない物語(「はじまりのうた」批評)

長いこと映画を観ていると、
何年かに一回、こういうオシャレ音楽映画に出会う。
前見たのは、「500日のサマー」かな。
繊細な若者の感情を、やわらかにすくいとるジャンルというべきか。

渋谷シネマライズとか、恵比寿ガーデンプレイス(もうないけど)
あたりにかかりそうな、小品の佳品。
楽曲がとても良かった。
宅録ならぬ街録のアイデアが抜群だ
(イコンになるアイデアであり、お楽しみポイント)。

ウィスパーボイス以外も聞きたかったけど、
きっと本職の歌手じゃないから難しいのだろう。
声量や歌技術は、ラストの彼氏で補完したのだろうね。

さて。この映画、終わりどころが見えない。
それが欠点だと思う。


それは、脚本の構成に現れる。

冒頭部の、同じライブ演奏の別視点のトリックから、
電話をしてくれ、まで、一幕30分を費やしている。

ということは、二幕以降は彼が主人公の、
アルバムをつくる話になるはず。

ところがだ。
この映画の構成的欠点、
彼女のこれまでのセットアップを、もう30分やるのである。

つまり、事務所で歌わせ、
デモをつくれ、というのはミッドポイントなのだ。
(57分あたりだったと思う。構成がおかしいぞと思い、
DVDの分数見てしまった)

街録の場面はとても素晴らしく、
娘のギターの才能を見いだすなど、
とても良かった。

しかし、二人イヤホンのとてもいいシーンが、
浮いているのが本当に勿体ない。

真珠を見つけた、という泣きそうな台詞もあったのに。



大枠の構造はこうだろう。

どん詰まりの二人が出会い、別れる。
それぞれはそれぞれに戻る、元サヤの話。
その途中停車のように、
街録と二人イヤホンがあるという構造。

彼女が契約しないことを選び、
また録音しようと、来ない未来を語る彼女と、
別れ際の男の表情は最高だった。

ここで終わるかと思いきや、
もう少しあって、彼女は自転車をこぎ、
どこへ向かっていいか分からない、不安で暗転した。
ここで終わるかと思いきや、
エンドロールに重ねて、
1ドルで売り、メジャースタジオをぎゃふんと言わせる後日談をつけてみせた。


つまり、終わり方が見つからなかったのだ。


ラストカットが意味を決める。

この話のテーマが、作者に見えなくなったのだ。


最初で終われば、淡い恋だ。(ビフォーサンセットみたいな)
次で終われば、若さとは苦い不安である、みたいなことだ。
ラストで終われば、若さはメジャースタジオに一発かませた、みたいなことだ。


ロッキーのような、エイドリアーン!で終われないのは、
何故だろう。
ビターエンドにしてしまい、
ハッピーエンドに出来ないのは何故だろう。
1ドル事件のあと、新しいメジャーレーベルを興して終われば良かったのに。
(たとえば彼女がまたライブハウスで歌ってて、
彼が現れ、糞みたいな会社を辞めてきた、
二人であたらしい会社を興そうぜ。メンバーはまた集めるが、
バイオレットをギターに入れてもいいか、と聞くと、
私も条件がある、あなたもベースを弾くこと、
みたいな終わり方でも良かったと思うのだが)



それは、
現実がハッピーエンドがなさそうだからである。



ここから業界批判だ。

つまり、メジャースタジオは、
才能を見つける力がなく、
どんなことをしても作者に1割しか寄越さず、
残り9割をせしめるシステムだ。

今やネットで「普及」だけなら出来るようになり、
それで益々メジャースタジオは苦しんでいる。
才能を見つける力がなく、ごり押し(パワープレイ)だけで生きている。

しかしネットはゲリラでしかなく、
真の勝利は、ネットでの勝利でもなく、
メジャースタジオでの勝利でもない。
バラードをポップスに変えられてしまうのだ。

勝利のスタイルが見えない。
その現実こそが、
この映画の終わり方が分からないことの鏡となっている。

僕はそれなりに長く生きてるから、
あのあと彼女はやはりヒットせず、
微妙なポジションのまま彼氏と別れ、
溢れる才能が枯れて、猫と暮らすだけの、
元美人のおばさんになるのが見えてしまう。
あまり上手く弾けなくなったギターで、
似たような歌をつくる孤独なおばさんに。
それでも彼女は幸せなのかな。
別れ際、彼女を抱き締めてキスでもしてれば変わったかな。



僕は、だからこそ、この映画なりの、
個人的結論を見たかった。
ないなら、つくる。
それが創作だからである。

現実の苦しみに対して、夢を持たせるのが、フィクションの役目だ。

ここで、突然「百万円と苦虫女」のビターエンドを思い出した。
あそこでハッピーエンドになられても陳腐だし、
ビターエンドだと微妙すぎる。

つまり、ハッピーエンドを最初から作るつもりがなく、
終わり方が分からなかった、
という点で、二つの映画は似ている。


現実に分かりやすい答えなどない。
だから人は物語に分かりやすい結末を求めるのだ。

だから、そこを目指して、慎重に話を組んでいくべきだったと、
僕は思う。
あのエンディングを選んだこと自体、
全てがマイナーに収まってしまったのが、
なんとも言えない苦さがある。



でも俺はサントラ探すと思うよ。(笑)
posted by おおおかとしひこ at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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