当たり前なんだけど、ついつい忘れてしまうこと。
はじまりのうたのピークはどこだろう。
僕は、二人イヤホンの「デート」のラスト、
今ここが真珠だ、
というシーンだと思う。
残念ながら、
これを越えるピークがなかったのが、
この映画の終わり方が分からないポイントだ。
第二ターニングポイントはどこか?
が、見えていない。
つまり、この映画のクライマックスは何か?だ。
彼女の元彼が、
彼女のアレンジで歌う場面か?
音楽的にはピークだが、
それがストーリーのピークか?
そうではなかったから、
この話のピークが見えないのだ。
当たり前だよね、元サヤという運命が決まっているのだとしたら、
真ん中が一番美味しくなるよね。
元サヤに戻るのは変わらず、
二人がセックスしても良かったんじゃないかなあ。
感情のピーク、お話のピーク、表現のピークが、
クライマックスに来るべきなのが映画だ。
とても分かりやすいロッキーでは、
ボクシングからのエイドリアーンだ。
ピークがクライマックスに来なかったところ。
この話のクライマックスが何か分からないところ。
主人公の一番の本音がクライマックスで明らかにならないところ。
すなわちこの話の意味、テーマが分からないところ。
基本通りの、ここがヤマになってなかったのが、
いまいちな読後感の正体だと思う。
ヤマが一番の山にならないとね。
結果論かも知れないが、
山は中間部だった。
そうやってビートを外すオフビートがオシャレだった時代は、
ちょっと過去になってると僕は思う。
今は真のオンビートが求められている気がする。
2015年10月14日
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