「ロッキー」を例に、具体例を見て行こう。
@メインプロット
Rocky_main_plot.pdf
ロッキーのざっくりした概要は、
「名前だけで偶然世界戦に指名された、
場末のイタリア人チンピラボクサーが、
最後まで立ち続け自分を示す事で、誇りを取り戻す話」だ。
ログラインはもう少し短くつめる事が出来るだろうが、
なんとなくこんな感じになるように空欄を埋めてゆくと良い。
注意すべきは、芝居で表現されるように書く事だ。
「誇りを取り戻す」ことは地の文では書けるが、
三人称芝居では難しい。
「エイドリアーン!」がその表現にふさわしいように、
全体のストーリーを組んで行くのだ。
だからロッキーの変化後は、
「愛する女の名を叫ぶ、それが俺」と書いてみた。
外面的ストーリーは、
アポロの対戦相手の怪我による、タイトル戦の興行だ。
その相手がロッキーに決まり、
その試合の結果が出るまでだ。
その試合自体の勝利はアポロだが、
実際はロッキーの勝利のようなものだ。
その瞬間は、最終ラウンドまでロッキーが立っていて、
判定のコールを観客たちが歓声でかきけすところである。
さて、主人公の変化の意味ってなんだろう。
たった一晩で人は変われるということだろう。
もう少し時代の文脈に照らせば、
アメリカンドリーム、アメリカはチャンスの国、
などのような肯定的テーマが見えてくる。
アメリカが自信を失ったベトナム戦争直後だからこそ、
厭世的なニューシネマをぶちやぶって、
希望を信じられる「ロッキー」は大ヒットしたのだ。
このテーマが、変化前後で示せる事、
それが時代的にマッチするかというチェックに、この空欄は使える。
次に、
脳の全く違う部分で、お楽しみポイントを考えよう。
人によってはここから入る人もいるだろう。
これまでのことは、
時間軸上の変化と、それが示す意味について考えたが、
お楽しみポイントは、無責任に考えていい。
ロッキーでは、
ボクシングの試合、その奇抜な特訓というスポ根要素と、
ロマンティックなデートというラブストーリー要素があるだろう。
全体的にアメリカンドリーム感を出す為に、
フィラデルフィアの貧乏な街や、
イタリア人のコミュニティ
(マフィアが用心棒に雇ってくれている、
肉卸しという身分が下の者がやる職にポーリーがついている、
集まるバーみたいなものがある)もお楽しみポイントになるはずだ。
「ロッキー」という映画は、
メインプロットの事件「世界戦の行方」と、
ロッキー個人の内面的成長、
ボクシング&ラブストーリー&アメリカンドリームの、
三本柱を楽しむ映画である。
A三幕構成
Rocky_3_acts.pdf
きっかけポイントを書き入れる。
それをもう少し具体的にするため、
場末のチンピラに関するエピソードを考える。
地下試合で興行マネにぼられるところや、
借金取りしか仕事がなく、指を折れという指示に対して出来なかったことなどの、
変化前のディテールをつめてゆく。
そうすれば、じきに、
「ある日ジムに行くと、
十年使ってたロッカーの鍵が変えられていて、
若手ホープが使ってて、自分の荷物は共同ロッカーに放り込まれている」
というきっかけの事件を創作しやすくなるだろう。
さて、二幕はとてつもなく長い。
それは、二幕はコンフリクトを描くからだ。
つまり複数のサブ人物がいないと成り立たない。
このあたりで、ラブストーリーの相手エイドリアンや、
トレーナーミッキー(若手のロッカーにしたのは彼だ)など、
サブ人物が増えて行くだろう。
エイドリアンは親友ポーリーの妹ではなかったかも知れないし、
ミッキーがロッカーの鍵を変えたのではなかったかも知れない。
そのあたりは、後半なにが起こるかで、設定を変えることはよくある。
全体の話を想像しながら、
世界戦の指名がいつ来るかを考える。
それが第一ターニングポイントになるかな、
と思いきや、
この脚本の最大の弱点、
第一ターニングポイント「世界戦の相手にロッキー内定」に、
本人の意志が不在なのだ。これについては過去記事参照のこと。
ミッドポイントは二幕が出来るまで考えなくてもいい。
第二ターニングポイントは、
勝利条件「最後まで立つ」が示されること。
それはロッキーの口から意志をもって誰かに語られるはずだ。
ミッキーでもアポロでも良かったが、ここは恋人エイドリアンに結果的になった。
さて、お楽しみポイントはどこに配置するかを考え始める。
お楽しみポイントは、主に二幕前半になるのだった。
ボクシングの試合は、ラストのクライマックスは決まりだろう。
他にどこでやるかだ。
第一稿ではもっと試合シーンがあったかも知れないが、
低予算映画ゆえに、冒頭の試合と三幕のみとなってしまった。
(普通はもうちょっと試合あるよね。
たとえば「ミリオンダラーベイビー」も「リアルスティール」ももっとあった)
その代わり、奇抜な特訓シーンはいくつかばらけて存在させられる。
いくつかネタを探して、
取捨選択した筈だ。(スプレッド)
ロマンティックなデートこそ、
まさに二幕前半のポイントである。
エイドリアンとのラブストーリーでもあるからだ。
感謝祭というイベントデーのアイススケート場のシーンは、
映画史上に残る、最も貧乏で最も美しいデートシーンだ。
アメリカンドリームの要素は、前半戦のディテールと、
後半戦のかけあがりで示せるだろう。
Bサブプロット
Rocky_sub_plots.pdf
主人公とメイン事件に関する大筋が出来たら、
中盤を彩るサブ人物について考える。
誰が変化するか?で考えるとよい。
エイドリアン、ミッキーがそのメインになるだろう。
ポーリーは最初から最後まで変化のしないダメ人間だ。
アポロは油断による転落をするかと思いきや、結局勝って地位を保つので、
実は変化しない人物だ。
ということで、変化するサブ人物は、
エイドリアンとミッキーだ。
エイドリアン:
変化前:引っ込み思案の眼鏡っ娘
変化後:恋人の地位
変化する瞬間:メガネを外されたとき。
昔の映画だし、ベタベタですな。
ロッキーの部屋に来たときの「その亀は私が売った」とかはとても好きな台詞だ。
ミッキー:
変化前:いやなオヤジ
変化後:頼りになるオヤジ
変化する瞬間:ロッキーとの大げんか、金で寄ってきたが、
本気でトレーナーにつこうとしたこと
サブプロットは、それぞれの登場するあたりから、退場するまで線をひくとよい。
エイドリアンの変化の方がミッキーの変化より大きい。
また、メインプロットの解決の瞬間と主人公の内的ストーリーの変化の瞬間の交差のように、
それぞれのサブ人物の変化の瞬間が、
他の変化ラインのどこかと交差するように書くとよいだろう。
エイドリアンの変化の瞬間は、ロッキーと結ばれることだから、
ロッキーのストーリーと交差させるとよいし、
ミッキーの変化の瞬間は、ロッキーとの大げんかだから、
同じくロッキーのストーリーと交差させるとよいだろう。
それぞれのポイントを黒丸で書く。
これはストーリー上のターニングポイントとなることが予測される。
それぞれの肝となる点を、それぞれのストーリーラインの関係性を縦線で示した。
たとえばミッキーが引退を考えろということと、
ロッキーの変化のきっかけポイントは、関係しているし、
今後のターニングポイントにもなっている。
ミッドポイントは長らく放置されてきたが、
ポーリーとのことや、
指名をどのへんで受けるかを考えると、
TVインタビューをみんなで見るところになる。
これは必ずしもこれか、というと、結果的にここになったような気がする。
あまり論理的結果でない感じがするからだ。
(ただ、ラストの「エイドリアーン!」への重要な伏線なので、
重大なシーンではあるのだけれど)
さて、このように、
各サブプロットと主人公のプロットの関わりなどをチェックしていると、
自然に話が浮かび上がる筈だ。
ああしてからこうしようとか、
こうしてからあれが起こるとかだ。
そういうのをまわりにばんばん書いてゆき、
次第にストーリーの形をなしてゆくとよい。
「ロッキー」の第一稿が必ずしもこのような整理された形で出てきたとは思えない。
もっと各人物のサブプロットは前後しただろうし、
膨らんだ話がカットされたかも知れない。
それらを、この図を見ながら考えたり、試行錯誤したり、
あるいはブレイクシュナイダーのボードでやるのもよい。
ボードはシーンの並び替えでアイデアを練る方法だが、
このテンプレは、このように、
変化の軌道を中心にストーリーを練る方法だ。
今の所このようなやり方でやっている例を僕は聞かないので、
わりと新しいやり方かも知れない。
でも頭の中で僕がやっていることを図にすると、こういう感じになるのだけどね。
ここまできちんとつくらずに、プロットを書くだけでこうなっている場合もあるし、
どういうやり方でやっても、ほんとはいいのだ。
あなたに足りないのは何か、ということをあぶり出すのにも、
このテンプレを使ってみるのもいいかも知れない。
あるいは、リライトのときにこれをつくって、
人物同士の関係性とメインプロットをあぶり出すのも有効だと思う。
誰を外すとか追加するとか、そういう変更で何が起こるかも、
シミュレートしやすいのではないかな。
勿論、Aでごちゃごちゃしすぎたら、一回@に戻って、
全く新しいバージョンを試してみる手もある。
シンプルに考えて、全く別の話に組み替えることも、
リライトではまれによくある。
いろいろと、活用されたい。
2015年10月16日
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テンプレでは
事件 世界戦の相手がいない
きっかけ ロッカーが使われている
となっていますが、
ロッカーが使われている、というのは「事件」でもあるのでは。
事件ときっかけの違いってなんなんでしょう。
私はいつも事件ときっかけを一緒くたに考えてしまうのですが・・・
事件ときっかけは、専門用語と考えて、日常用語と切り離したほうがいいですね。
(たまに自分でも区別つけてないときがありますが)
事件はセンタークエスチョンに関係すること、と考えるのがよいです。
ロッキーでいえば「世界戦に指名されたこと」です。
そのきっかけ(日常と違う異変)が、
ロッカー事件だったわけですわ。
わざと事件とつけてみました。この事件は、
専門用語の事件とは別の、日常用語としての事件です。
ロッカー事件→引退を考えろ
→世界戦(センタークエスチョン)
と一幕は順にすすみます。
きっかけ(カタリスト、インサイトインシデントとも)
から雪だるま式に転がって、
本格的な事件が全貌を現します。
(わざと「本格的な」をつけてみました)
おはなし全体を考えるときは、
「事件と解決」のペアで考えて、
一幕だけを考えるときは、
きっかけから大事件への発展を考えると、
自分の中のスケーリングがうまく行くと思います。
まあ、短編ではきっかけ=事件のときもあります。
(例:トイレの汚れ困ったわ→そんなとき小林製薬!)
一幕の長さによるでしょうね。
三時間の映画でも一幕は30分まで、
というのが経験則みたいですが。
(本題が早めに見えないと飽きちゃうから)