某漫画編集者の経験談。
伸びる新人は、
最初から台詞が上手い(魅力的)のだそうだ。
それは、人間の魅力を上手くとらえられている、
ということかも知れない。
台詞が上手いということは、どういうことだろう。
僕は台詞でほとんど困った経験がない。
大学生で自主映画を撮ってたころは、
女同士の会話シーンが書けなかったが、
それなりに女経験を積めば、
表面的なレベルなら書けるようになった。
(そもそも女同士のグロい所まで踏み込む気はあまりないから、
その核心以外は書ける)
台詞のコツというか、必要条件は、
「自分以外の思考様式が出来ること」だと思う。
台詞というのは、
他人と他人の会話の、いわばシミュレーションだ。
全く違う人間同士の会話である。
あなたとあなたが会話するのではない。
自分と同じ思考様式と、同じ思考様式が会話するのは、
わりと簡単だ。
せいぜい両肩で天使と悪魔が喧嘩するレベルでしか、
思考様式は変わらない。
問答形式なども、わりと自分と自分の会話なところがある。
だが、三人称での会話劇は、
他人の思考様式と、他人の思考様式との会話なのだ。
他人の思考様式vs自分の思考様式にするのは、
まずは基本だろう。経験も生かせる。
しかしそれではいつまでたっても、
三人称形式のコツ「自分を書かないこと」に向き合えない。
他人の思考様式と他人の思考様式を会話させるということは、
どういうことだろう。
それを知るには、他人と深く付き合うことだ。
自分が当然と思っていること、当然と思っているリアクションや連想、
当然と思っている知識や前提、当然と思っているこうすればこう、
が、あまりにも違うことに愕然とするはずである。
若いうちは「俺と同じにならないと嫌」ということが原因で、
喧嘩になるものだが、
経験を積めば、違う思考様式なのだ、
と諦めと余裕が出てくるものである。
彼女や嫁と同居していれば、分かると思う。
ただでさえ、世の中は違う思考様式のギャップを埋めること
(コンフリクトそのもの)が日常だ。
上司と俺、会社と俺、得意先と弊社、親と俺、友達と俺、などなど。
自分以外の思考様式は、世の中の全てである。
あなたは、あなたの物語の中で、
あなたの思考様式を描くべきではない。
あくまで、他人の思考様式と他人の思考様式の喧嘩を描くべきだ。
(何故なら、自分の思考様式が敗北する話を書きたくないからだ。
この誤りがメアリースーや、俺ツエーの原因だろう)
これは、一種の分裂病だ、という話は既にしたと思う。
人形遊びに近い感覚かも知れない。
さて。
具体的にはどうするか。
その台詞を言う(書く)瞬間、
そのキャラになりきるだけだ。
それを言われた別のキャラになりきり、
そのキャラが反応しそうなことを言う(書く)だけである。
それを言われたそのキャラになりきり…以下繰り返し。
たったそれだけだ。
そのキャラを自分自身にしなければいいだけだ。
あくまで他人というキャラであり、
あなたではないことを承知しておけばいいだけだ。
恐らくはその為に、
バックストーリーや性格設定などが、必要なのだ。
あなたはそのキャラになりきるだけでよい。
自然と、そのキャラっぽい台詞が湧いてくるはずである。
物真似とは少し違う。
物真似は表面の特徴的なことを真似する。
しかしその人が考えそうなことを真似するのである。
プロは誰しもが、キャラが降霊するような感覚でいるはずだ。
もしそのキャラが湧いてこないのなら、
まだキャラが薄いんじゃないかな。
二次創作でもしてみて、
既知のキャラがヘンテコなシチュエーションに遭遇したときの反応、
などをシミュレーションしてみるのはどうだろう。
(風魔の小次郎という作品は、
そのような二次創作が相当数ある作品だと思う。
実写版の二次創作も沢山あっただろう。
ほんの一部はネットで見たけど、
なかなか実写版ならではのキャラをとらえていて面白かった。
壬生や武蔵や陽炎や雷電や白虎紫炎などなど、
濃い夜叉のほうがやりやすいのだろう。
風魔サイドは割りと原作通りといえば原作通りだしね)
オリジナルキャラクターを生むのが多分先。
台詞を書くのは、後かも知れない。
あと、筆の速さは物理的に大事。
僕は台詞のスピードで書き留めたいから、
自分なりの崩し字で書いている。
準一級から一級クラスのまあまあ速い文字うちよりも、
手書きの方が速いのは既に実証ずみ。
台詞を書くのに速記を習うのをまじで検討しているぐらいだ。
手で速く書けるのは、意外と作家の条件だったりして。
2015年10月18日
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