どうやったら文章力が上がるのだろう。
いい文章を読み、
声に出して読み、
いい文章を聞き、
じぶんの書いたものについてもそれをやる、
しかないと思う。
最初は真似や暗唱でいい。
徐々に上手くなっていくしかない。
一二ヶ月で上手くなるときもあるし、
十年かかるときもある。
一生、ということもある。
台詞も同じだと思う。
他人の思考様式がどうなっているか。
こう考えるからこそ、こういう台詞になる。
こう考えてはないからこそ、こういう台詞になる。
言い方、生活慣習、TPO、リズム。
説明の仕方、感情と理性の配分。
自分から仕掛けるとき、
相手に応じるとき。
嘘をつくとき、本当のことを言うとき。
日常の台詞、非日常の台詞。
特に非日常の台詞は最重要だ。
非凡な非日常こそが物語だからだ。
(前に例に出して、タイトル失念したのだが、
凄腕のコワモテ軍人が、
突然赤ちゃんを育てる破目に?というコメディがあった。
我々にとっては軍隊の訓練や人殺しこそ非日常だが、
彼らサイドからすれば赤ちゃんの世話が非日常だ。
イエスサーが日常の人が、覚束ない口調で、
いないいないばあというときの面白さよ)
台詞はギャップでもある。
AとBのギャップを描きたいのなら、
AもBも上手く書けなければならない。
台詞は文章だ。
美しい台詞が書きたいなら、美しい文章を書かねばならない。
面白い台詞が書きたいなら、面白い文章を書かねばならない。
シンプルな台詞が書きたいなら、シンプルな文章を書かねばならない。
で、文章とは結局思考だ。
美しい文章を書きたいなら、美しい思考をしなければならない。
面白い文章を書きたいなら、面白い思考をしなければならない。
シンプルな文章を書きたいなら、シンプルな思考をしなければならない。
台詞は結局、思考だ。
他人の思考様式と他人の思考様式を喧嘩させ、
和解させることだ。
他人の思考様式を用いながら、
自分の思う方向に話を持っていくことだ。
つまり、他人の思考様式1、他人の思考様式2、
それらを統括する神の、
三重人格がないと、台詞は上手くならない。
特殊な文章力かも知れない。
普通の?文章力とは、
自分の思考様式を、そのままうまく綴れればOKだからだ。
一重人格で済むだろうね。
文章力をつけよう。
まずは自分の一重人格ぐらいの文章力を。
それから三重人格に分裂するか、
最初から三重人格になって文章力を磨くかは、
人によるのでなんともだ。
三重人格どころか、
長い話だと何十もの人格を使い分けなきゃならないし。
2015年10月20日
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話は変わって多重人格の方ですが、
某24の人格を持つ連続強姦魔(もうすでに死んでしまっていますが)はどんな文章を書くのか
不謹慎ながら見てみたいなと思いました。
キャプテンウルフ。見てないので見てみようかと思います。
何かの記事でそのアイデアだけ見て、ずっと気になってたので。あざす。
ビリーさんの書く文章なんて簡単です。
二番目の人は、俺はこの文章を書いていない、と言うだけです。
最終的には統合人格が現れて24人は概ね一人になったらしいですね。
24人はそれぞれ死の恐怖があるので、統合を拒否するそうです。
別人格同士の横連携があるときもあるそうで。
あんまり深く考えると深淵に飲み込まれますので、ほどほどに。