2015年10月20日

台詞は結局多重人格の文章力

どうやったら文章力が上がるのだろう。

いい文章を読み、
声に出して読み、
いい文章を聞き、
じぶんの書いたものについてもそれをやる、
しかないと思う。

最初は真似や暗唱でいい。
徐々に上手くなっていくしかない。
一二ヶ月で上手くなるときもあるし、
十年かかるときもある。
一生、ということもある。

台詞も同じだと思う。


他人の思考様式がどうなっているか。
こう考えるからこそ、こういう台詞になる。
こう考えてはないからこそ、こういう台詞になる。

言い方、生活慣習、TPO、リズム。
説明の仕方、感情と理性の配分。
自分から仕掛けるとき、
相手に応じるとき。
嘘をつくとき、本当のことを言うとき。
日常の台詞、非日常の台詞。

特に非日常の台詞は最重要だ。
非凡な非日常こそが物語だからだ。

(前に例に出して、タイトル失念したのだが、
凄腕のコワモテ軍人が、
突然赤ちゃんを育てる破目に?というコメディがあった。
我々にとっては軍隊の訓練や人殺しこそ非日常だが、
彼らサイドからすれば赤ちゃんの世話が非日常だ。
イエスサーが日常の人が、覚束ない口調で、
いないいないばあというときの面白さよ)


台詞はギャップでもある。
AとBのギャップを描きたいのなら、
AもBも上手く書けなければならない。


台詞は文章だ。
美しい台詞が書きたいなら、美しい文章を書かねばならない。
面白い台詞が書きたいなら、面白い文章を書かねばならない。
シンプルな台詞が書きたいなら、シンプルな文章を書かねばならない。
で、文章とは結局思考だ。
美しい文章を書きたいなら、美しい思考をしなければならない。
面白い文章を書きたいなら、面白い思考をしなければならない。
シンプルな文章を書きたいなら、シンプルな思考をしなければならない。

台詞は結局、思考だ。
他人の思考様式と他人の思考様式を喧嘩させ、
和解させることだ。
他人の思考様式を用いながら、
自分の思う方向に話を持っていくことだ。

つまり、他人の思考様式1、他人の思考様式2、
それらを統括する神の、
三重人格がないと、台詞は上手くならない。


特殊な文章力かも知れない。
普通の?文章力とは、
自分の思考様式を、そのままうまく綴れればOKだからだ。
一重人格で済むだろうね。


文章力をつけよう。
まずは自分の一重人格ぐらいの文章力を。

それから三重人格に分裂するか、
最初から三重人格になって文章力を磨くかは、
人によるのでなんともだ。

三重人格どころか、
長い話だと何十もの人格を使い分けなきゃならないし。
posted by おおおかとしひこ at 00:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
凄腕のコワモテ軍人というのは恐らく「キャプテン・ウルフ」の事でしょうか。

話は変わって多重人格の方ですが、

某24の人格を持つ連続強姦魔(もうすでに死んでしまっていますが)はどんな文章を書くのか

不謹慎ながら見てみたいなと思いました。
Posted by kentya at 2015年10月20日 12:07
kentya様コメントありがとうございます。
キャプテンウルフ。見てないので見てみようかと思います。
何かの記事でそのアイデアだけ見て、ずっと気になってたので。あざす。

ビリーさんの書く文章なんて簡単です。
二番目の人は、俺はこの文章を書いていない、と言うだけです。
最終的には統合人格が現れて24人は概ね一人になったらしいですね。
24人はそれぞれ死の恐怖があるので、統合を拒否するそうです。
別人格同士の横連携があるときもあるそうで。
あんまり深く考えると深淵に飲み込まれますので、ほどほどに。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年10月20日 12:31
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