2015年10月21日

誤解の余地を残す

上級編というか、
プロとアマチュアの境目あたりの話。

初心者のうちは、
あなたの表現したいものと、
表現されるものとの関係を、100にすることが求められる。
それはそもそも表現が下手だからだ。

誤解されてはならない、
変な情報を入れてはならない、
話がそれてはならない、
伝えるべきところを残して他を捨てる、
それにはこれしかない、
と詰め、表現したいものとされるものの関係を100%
正しくする。

しかしこれはアマチュアまでの話である。


プロはそんなことしない。

そもそも卓越した表現力があるので、
すぐ98ぐらいは達する。
ベタな表現からよくある表現から、
どこかで見た特殊で面白い表現まで、
そもそもバリエーション豊かな引き出しがあるし、
それのどれかに決めれば、
あとは自動的に出てくる。
プロはそこまでは悩まない。

本当に悩むのは、「新しい表現はあり得るか」である。


表現したいことが、100Aだとしよう。
アマチュアは、30Aスタートだ。
ああでもないこうでもないと、50Aや70Aのあたりでいったり来たりする。
それはそれで大切な時間である。
そもそも90Aを叩き出す能力がないからだ。
50Aだとノイズが半分あるから、
誤解を恐れなければならない。
誤解や表現意図と異なるものが出来ることを恐れるのは、
要するに表現力がないからなのだ。

プロは98Aぐらいまでは2秒もあれば可能だ。

悩むのはここからだ。

BやCもあるのでは、と悩むのである。


それは、Aを伝える方法のことでなく、
「この方法だと、
AかつBにも読める」のような表現をわざと入れるのである。


そもそもアマチュアレベルでは、
表現力がないから、こんなことをしてはならない。
表現の純度をあげ、
Aを表現できるバリエーションの引き出しを増やしていくことだ。
ノイズのない誤解のない、
90A以上を目指すべきである。

プロはここから、誤解の余地を入れていくのである。

さあここからが難しい。
すぐに、やりたいだけのダサいものになってしまう。
その自覚が大変難しい。

その為の第三の目を持てるかどうかだ。
持ってる人が生き残り、持てない人が死んでいくだけかも知れないが。


言葉で伝えるのが大分難しい領域だが、
伝わるかなあ。

そこで上手くいったときだけ、
新しく、面白いものが出来上がる。

なぜなら、Aという内容なのに、
BやCの要素も含みのある豊かなものになるからだ。

それは誤解との闘いだ。
誤解は困るが、誤解して面白いように、Aを膨らませるのである。


それは98Aに30Bを足して128を作るようなイメージ。
(アマチュアは、30Aと20Bで50しかたどり着いてないイメージ)

上手く伝わるかなあ。


ここ二日間の撮影はそんな感じでした。
posted by おおおかとしひこ at 09:22| Comment(4) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡俊彦様

いつもありがとうございます。
先日の松本人志についての記事では、質問にお答えいただきありがとうございました。

今回の記事について、自分の理解にいまいち自信が持てないので、質問させていただきます。

今回の内容を整理すると、

・Aという内容を表現する場合
アマチュア…30%伝えられる
プロ…98%伝えられる

・AにBという内容を加えて表現する場合
アマチュア…Aを30%伝えられ、かつ、Bを20%伝えられる
プロ…Aを98%伝えられ、かつ、Bを30%伝えられる

という認識でよろしいのでしょうか?
(アマチュアの%は、個人の力量によって30%以上になることもあるとは思います。)
ただ、いかんせん抽象的なので、出来れば何か具体例で示していただけるとありがたいです。

お答えいただければ幸いです。
それでは、失礼いたします。

ケルベロス
Posted by ケルベロス at 2015年10月21日 12:41
ケルベロス様コメントありがとうございます。

昨日の撮影で感じたことをつい書いてしまったので、
オンエアが始まったら書くとします。
非常に技量のある役者と仕事ができて、
しかもダメな人も同時にいる現場でした。

内容はおおむねそういうことです。
アマチュアは余計なBを捨てAの純度を上げることに、
プロはそこに味を足したり多義性を足していったりすることに、
労力を注ぐべきだ、ということです。

自分がプロ側にいるな、
と感じるのは、自分より出来ないアマチュアのままの人を見るときですね。
具体を上げたいのですが角が立つので、
別の例を考えたら書きます…

意外と脚本添削スペシャルあたりで、
具体例があるやも知れませぬ。過去記事を辿ってみてください。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年10月21日 13:51
大岡俊彦様

質問にお答えいただきありがとうございます。

僕は漫画を描いてネット上にアップしているのですが、最近はAを60%くらいは表現出来るようになってきたと思います(コメントでの反応などから推測して)。
少し前までは20%でした。

とは言うものの、「20%しか表現できない」という自覚はありませんでしたね。(そもそも%の自覚が全く無かった)
ですので、いざ面白いものを作ろうとする時は、Aの%を上げるという考えなどなく、
「BやCをたくさん入れれば話の懐が広がって面白くなるはず」と思ってやっておりました。
まあ、その結果、他人から見たら意味不明なものが出来上がりましたが…(笑)
これではいけないと思い、なるべく描くものを最小限に絞ったら、多少マシにはなりました。
その時は気付きませんでしたが、今思い返すと、表現の%が低かったのだな、と思えますね。
BやCを余計に入れたことで、本来表現すべきAがぼやけてしまったのだと思います。

これは僕に限らず、他の方の作品にも言えることです。
「内容の意味が分からない」というものは、漫画に限らずあらゆるジャンルで頻繁に見かけます。
この原因はおそらく、単純にAの%が低いか、以前の僕のように、BやCが余計に混じってAがぼやけているか、どちらかだと思います。
ただこれは、大半はアマチュア作品での話です。
プロではあまり見かけませんね(無いことは無いですが)。

表現の%の問題は、大岡さんが書かれているように、プロとアマチュアの境目の一つなのかもしれないですね。

もっと具体的に理解するため、過去記事も辿ってみます!
質問にお答えいただきありがとうございました。
それでは、失礼いたします。

ケルベロス
Posted by ケルベロス at 2015年10月23日 21:20
ほんとに抽象的ですいません。
自分の感覚と他人の感覚も違っていたりするし、
具体を書きたいところです。

たとえば脚本添削スペシャル「ねじまき侍」の、
「むきゅう」というのは、
オモシロ要素なのに友情の証でもあり、
泣ける要素でもあったりします。
Aがヘンテコだとして、
その他のBもCも含む多義的なものになるわけです。

そもそもヘンテコで突き抜けないと、
二重三重に意味を重ねていけないのですな。

誤解は必ずされる。
でもそれを怖れたら何も出来ない。
そもそも30%のAじゃ意味ない。
そんなような主旨です。

自分の中でも整理できてない話ですいません…
Posted by 大岡俊彦 at 2015年10月24日 02:13
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック