あるものを正面から書こうとしても、
初心者は実力が足りないので、
書くことから逃げてしまう。
その結果、ヘンテコな(ダメな)ものが出来上がり続ける。
ヘンテコに工夫を凝らすのではなく、
逃げないことが正解なのだが。
いくつかの例を挙げてみる。
事件と劇的解決から逃げてしまう:
興味深い事件から逃げ、普通の平凡な事件にしてしまう。
日常にクレバスがあいたような、異常な事件から逃げ、
日常にありそうな事件にしてしまう。
聞いたこともない事件ではなく、聞いたことのある事件にしてしまう。
解決も、
どこかで聞いたような解決にしてしまい、
なるほどと膝を打つ見事な解決から逃げてしまう。
それは、解決の面白さから逃げているのだ。
パズル創作、ミステリーのトリック創作とこれは似ている。
そもそも最初が異常で、
一筋縄ではいかなくて、
何度もどんでん返しがあり、
劇的な解決であり、
最初から張られた伏線が見事に効いているような、
事件と解決を、
あなたは創作しなければならない。
これから逃げて、
平凡な日常の範囲内での、
問題と解決(たとえば傷ついた言葉にごめんねと言う、程度)
の物語性にして、
キャラ性や舞台設定や台詞などの、
「他で勝負」という逃げ方をする。
しかしそれでは、結局メインプロットが平凡な、
周りだけ豊かで中心のない、
肉なしステーキスイーツ添えを作っているようなものだ。
スイーツがついてなくても、旨い肉を作るべきなのに。
ストーリーの面白さの根本は、
事件の面白さと、解決過程の面白さと、解決の面白さだと、
僕は思う。
そこから逃げると面白くないのだ。
特に解決から逃げると、
未解決問題として残り、とてもモヤモヤする。
お話を楽しむ目的は、解決のスッキリ感を味わうことなのに。
実はこれが一番難しいことで、
だからあなたは安易に作れるもの、
あなたが楽に作れるもの、
別のもので誤魔化そうとする。
お話が思いつかないからと言って、
群像劇や劇中劇に逃げるのはよくある話だ。
図太くしっかりした話から逃げて、
小さく細い話を集合させて合わせ一本を狙おうとするのである。
マグノリア、クラッシュなどは、
やはり一本の面白い話を見たという満足感がない。
我々が求めているのは一本の冒険であり、
こまい段差越えの集合ではない。
事件と解決の面白さは、
あなたの、事件と解決のストックに比例する。
自分にも解けない問題を出して、解ける訳がない。
あなたが描く解決は、
あなたが最初から解けるように設定した問題だけだ。
つまり、あなたが楽しませることが出来る観客は、
あなた未満のIQの人々である。
なお、解決方法が観客全員が分かっていても、
中の登場人物が分かっていないパターンもある。
「愚かな大人がおろおろする中、偏見のない子供が正解に気づく」
なんてのはよくあるパターンのひとつだね。
そのズレを利用するのも、
お話のバリエーションのひとつだ。
使いこなすには年季がいる。
観客の解決予想を、
こちらから予想しきれたときのみ機能するからだ。
逆に言うと、これが出来るようになると、
自分のIQ以上の人をも楽しませられるようになる。
事件と解決から逃げるな。
大したことない事件と解決なら、
そこを少しでもどんでん返したりして、
興味深いストーリーにするべきだ。
主人公の成長から逃げる:
これもよくある。
主人公の内的問題が、
外的ストーリーの決着で昇華しない。
原因の殆どは、
主人公を自分だと思ってしまうことだ。
あなた自身が作品内で成長する必要はない。
それには何年もかかってしまうだろう。
三人称作品は、他人を描く。
他人の成長を描く。
他人がどう足りないかをつくり、
他人がどう成長のきっかけを得るかをつくり、
他人がどう進んで成長の痛みを引き受けるほどの動機を得るかをつくり、
他人がどう解決して自分の内面の問題に決着をつけるかを、
つくればよいのである。
あなたは関係ない。
他人の内面の話である。
主人公の成長から逃げるのは、
あなたの成長拒否かも知れない。
あなたは成長しなくていい。
他人を成長させればいい。
ということで、あなたは自分より若い人を描き、
自分の年齢相当まで成長させると、
何かを書ける可能性がある。
主人公の行動から逃げる:
これも主人公はあなたではない、という原則を思い出すべきだ。
あなた自身が引っ込み思案で消極的なのは、
物語の主人公には関係がない。
物語の主人公は、その世界の中で最も大きな、頻繁な行動をする。
それは、他人だからだ。
また、必ずしもリーダータイプで明るいアメリカンヒーローのような、
性格的なものが行動を決定するのではない。
行動を決定するのは動機だ。
誰よりも大きく○○したい(しなければならない)と思っているからこそ、
たとえ引っ込み思案な性格でも、
物語の中の誰よりも、
大きく、頻繁に行動するのだ。
(どちらかと言うと、せざるを得ないという後ろ向きの理由か、
するチャンスが今自分だけにあるという秘密で、
などの表向きでない理由で、行動が行われることが多い)
主人公そのものから逃げる:
行動も動機も成長もうまく行かないとき、
よくあるのは主人公から逃げてしまうことだ。
脇役のサブプロットや、一方こちらでは、
みたいなことや、外伝(スピンオフ)的なものに逃げてしまう。
それは、事件と解決から逃げて、
群像劇や劇中劇をつくることに似ている。
逃げた先にも必ず同じ問題が発生するだろうことを、
ここに予言しておく。
二回三回逃げて逃げきった気になったとしても、
恐らく「続きが書けない」という最大の壁が立ちはだかるに違いない。
自分は正面から向き合わず逃げているのだ、
という自覚がない限り、
あなたは無意識に何かから逃げ続けるに違いない。
逃避行動は、人間の自然な行為だ。
安心するまで逃げるとよい。
あなたは、自分に出来そうにないことから逃げた。
次にやることは、
目標の下方修正である。
それに向き合う勇気を、殆どの人は持っていない。
自分は能力の高いプライドのある人間だと思っている。
だから殆どの小説家志望、脚本家志望は、
作品を完成させない。
完成させると評価が確定してしまうからだ。
恐れずに、
大したことない下方修正を仕上げられた者にだけ、
より面白いものを書くチャンスが、
次に与えられる。
リライトまたは次回作によってである。
これらから逃げるとどういうものを書くのか。
事件と解決から逃げる→スーパーパワーで一気解決(デウスエクスマキナ)または、未解決、全滅、バッドエンド
主人公の成長から逃げる→成長しない、勇気を振り絞ったり無理をしない、対立や衝突を避ける
主人公の行動から逃げる→他人が全部お膳立てしてくれる
主人公から逃げる→他キャラが活躍する
あれ?
これをメアリースーって言うんだよね?
つまりメアリースーとは、
実力のないやつが、
物語を書くストレスに耐えられず、
逃避した結果出来上がったものなのだ。
この弱虫野郎!
泥の中から立ち上がって前を向け!
2015年10月24日
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