表現はぶれてもいい。
あとで直せる。
構成がぶれると、
屋台骨がゆらいで作品は成立しなくなる。
当たり前だけど、執筆中には、
色々な迷いやためらいや五里霧中がある、
だから、表現がぶれるのはしょうがない。
そういうときにこそ、
プロットという設計図がある。
プロット通りに、完成させることを目標にすることだ。
プロットを疑いはじめると、執筆はよれはじめる。
もっといい展開があるのでは、
もっといい落ちがあるのでは、
もっといい伏線があるのでは、と、
プロットを疑いはじめてしまう。
そういうときは、プロットに戻ろう。
そのアイデアをプロットにしなおして、
元の練られたプロットと比較し、
新旧のどちらで行くべきか判断しよう。
経験上、最初に引いた設計図がいい加減なほど、
プロットを疑い出すものだ。
これでいいのか、と自信を失うのである。
これは面白い話のはずだ、
というプロットを練りまくった自信がない限り、
執筆中は迷うはずである。
構成が途中でぶれると、
必ず話はダメになる。
だから構成やプロットには時間をかけるべきだ。
しかし最後まで書いた経験が豊富でないと、
構成やプロットに自信がもてない。
卵が先か鶏が先かという議論と同じだ。
だから経験を豊富にするために、
数を書くこと推奨なのである。
ぐずぐずな構成からは、ぐずぐずな執筆。
端正な構成からは、端正な執筆。
これが経験則である。
自分だけでやってると、比較しようがないから、
他人のプロット、第一稿、最終稿などを見て、
勉強するのはとても良いことだ。
暇があったら、後学の為に、
てんぐ探偵のプロットや第一稿を公開するかも知れないです。
2015年10月28日
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