設定は書けるのにストーリーが書けない。
初心者にはよくある話だ。
その根本原因は、
ストーリーを書く実力にたいして、
オーバースペックの設定を作ってしまうことである。
(設定倒れ。設定を生かせない)
設定とストーリーはどう違うのか。
設定は静(変化しないもの)、
ストーリーは動(変化するもの)ととらえるとよい。
例えば数学を考えよう。
数学は、公理と定義と定理の集合である。
今なお数学の領域は広がりつつあるが、
たとえば高校数学に限定すれば、
それは静的である。
変化しない。
これはいわば設定である。
設定の体系のようなものだ。
一方ストーリーとは、
「この数学を理解する過程」に例えられる。
数学は理解すればたいへん面白い。
しかし、理解する過程でつまづけば、
糞である。
おそらく高校三年間の数学を理解する過程、
すなわち授業や塾や予備校においての、
数学を理解するストーリーは、
殆どの人にとって糞作品だったに違いない。
どんな面白い設定も、
理解する過程が辛いなら、
それは糞ストーリーである。
あなたの設定はきっととても面白いのだろう。
しかし、それを理解する過程が詰まらなければ、
決して最終章まで面白おかしく、ハマってしょうがないほどには、
たどり着いてくれないのだ。
数学と同様に。
理解する過程、すなわち解説が上手な人は、
語りがうまい。
それはストーリーの語り手としてうまいということである。
ストーリーは動的である。
観客の理解は、次々に変化していく。
むしろ、その理解が変化することが面白さだ。
(こうだと思っていたら、次にこうなるとは!
は、ターニングポイントの面白さである。
その極端なものがどんでん返しだ)
設定は静的だ。
変化しない、完成された体系の面白さだ。
たとえばガンダム世界の設定の面白さである。
ストーリーの面白さは、
その設定を理解する過程の面白さであり、
その設定を使って、どういう新しい物語を紡いでいくかという面白さだ。
数学に例えれば、
設定の面白さとは、数学の体系の面白さであり、
ストーリーの面白さとは、それを理解する勉強過程の面白さであり、
さらには、それを現実に応用する面白さ、
例えば物理学や工学や経済学の面白さなのである。
ということは、
理解する過程が苦痛でなく、なるべく簡単になるように、
なおかつその後の応用の面白さがあるためには、
設定はなるべくシンプルにしておくべきだ、
ということが逆算できる。
ガンダムの設定の面白さは他に類を見ないが、
実は第一話の冒頭、
「人類はスペースコロニーに移住し、
スペースコロニーの一部が独立宣言をして、
地球連邦に独立戦争の宣戦布告をしたこと」
さえ説明されれば、
あとは絵を見れば分かるようになっている。
(モビルスーツのこと、ニュータイプのこと)
数学の体系は膨大でも、
理解する過程を面白くさせているのである。
一般に、SFは設定が多いため、
最初に説明が多くなる。
裏を返せば、
殆どの作品は、「日常世界」という設定を借りているため、
殆ど説明をしなくていいだけの話である。
そこの世界特有のルールなどがあり、
ストーリーに直接関係するならば、
なるべく初出で設定しておくべき、
というのが僕の経験である。
さて、
あなたは静的な設定の体系ばかり作っていても、
物語を書いたことにはならない。
事件と解決の過程において、
人々を描いて感情移入させることによって、
設定を理解する過程において、
それが最終的にどんな意味があったのか感じさせる余韻を残して、
物語を動的に理解させる、
頭から最後までの一連の文章を書かなくてはならないのだ。
2015年10月30日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック