結局は同じひとつのものをつくる過程での、
段階の違うことなので、
じつは本質的に同じなのかも知れない。
編集とシナリオ執筆は似ている。
ここの読者が、
映像編集をどれだけ経験しているか不明だが、
編集のイメージは、
フィルムの山から目的のものを切り出してきて、
最初から最後まで一本に繋がったフィルムをつくる感じだ。
実際には、
撮影前に監督がカット割をして、
シーンナンバーとカットナンバーの組として管理される。
1-1の次には1-2が繋がれ、次に1-3が繋がれ…
最終シーン最終カット、たとえば102-12に繋いで終わる。
ひとつのカットには、テイクが複数ある。
撮影現場で、ヨーイスタートからカットまでカメラを回すのだが、
一発OKなら終わりだが、監督や役者が納得がいかなくて、
何度か撮り直しをする。
テイク1、テイク2、テイク3…と重ねるわけだ。
大抵は複数の人のタイミングが合わなかったり、
台詞を間違えたりするレベルのやり直しだけど、
芝居のニュアンスを色々変えてみたりして、
ベストの芝居を探るためにテイクを重ねる、
クリエイティブな撮り直しも沢山ある。
シーンナンバー、カットナンバー、テイクナンバーを並べて、
41-5-3などのように表記する。
編集とは、ひとつにはベストテイクを選び、
一本のものに繋げていくことだ。
たとえば、1-1-2、1-2-5、1-3-15、…のように繋いでいくのである。
さて本題。
シナリオ執筆は、この過程にとてもよくにている。
編集は、計画がある。カット割である。
それに従って各カットの複数のテイクを並べ、
ベストテイクをチョイスして繋げて行く。
執筆にも計画がある。プロットだ。
第一稿から第n稿が、複数のテイクに相当する。
(一回書いてシナリオが終わりだと思っているのは、
一度も最後まで書いたことのない人だ。
最初に最後まで書き終えるまででさえ、
テイク2のシーンなどの原稿が存在するはずだ)
特にリライトを繰り返すほど、
練られて良くなったテイク後半と、
不安定だが初物の魅力のあるテイク前半を、
どう組み合わせるかを考えることが多い。
そうやって、
ひとつの計画の下に、
複数のテイクをチョイスして繋げていく。
シナリオの執筆は、だから編集のようなものだ。
第一稿しか候補のないシナリオは、
全て1テイクしかない編集と同じで、
何も膨らみや広がりがない。
同じシーンを書くのにも、
重きをおく人物を変えてみたり、
台詞を書き直して良くなることは沢山ある。
それはテイク2、3…nである。
ラストテイクだけを繋ぐ編集のやり方もある。
最後がベストテイクだろうという考えだ。
しかしやってみればすぐわかることだが、
ファーストテイクのほうが新鮮で良かったとか、
真ん中当たりに神のおりたテイクがあったとか、
しょっちゅうだ。
ラストテイクが全てではない。
それぞれのテイクが前からの流れをどう変えて乗せていくかを考え、
次の流れに繋いでいく。
組み合わせは無限になる。
そのなかでベスト編集にたどり着かなければならない。
編集の下手な人は、
その無限の中ですぐに溺れて、自分が何をやっているか分からなくなり、
繋ぐもののグルーヴが落ちていく。
編集の上手い人は、
計画の通りにまず繋ぎ、全体を俯瞰し、
全体と部分の関係の力学(寄与の度合い)を確かめた上で、
それを越える繋ぎがあり得るか、
OKテイク以外から探り始める。
大抵オールラッシュ(撮影後、全テイクを一気見すること)のときに、
目をつけていて、そのテイクありきで他を帳尻合わせしていくものだ。
執筆も同じだ。
計画通りにまず書ききってから、
もっとよくなるかどうか、リライトを重ねて良くしていくものである。
計画通りに書ききれない人は、
撮影が途中で頓挫したのだろう。論外だ。
さて、編集においては、
カット割通りに繋ぐとも限らない。
カット割通りに繋がないクリエイティブな繋ぎが、
時に計画を凌駕することがある。
計画を念入りにしているほど、このジャンプは少ない。
ベテラン監督はこのジャンプを起こりにくくして、
全体をコントロールする(山田洋次やイーストウッドなど)。
が、同時にわざとジャンプが起こりやすくなる仕込みをしておくこともある。
計画通りに撮る撮影現場しか知らない助監督は、
編集室で起こるこの窯変を知らなかったりする。
シナリオも同じである。
プロット通りに書くことがベストとも限らない。
ベテランほど、執筆の場で化けるようにプロットに遊びを持たせておく。
(初心者は、最後まで書けるプロットづくりと、
そのプロットで最後まで書ききる練習をしよう。
どうやったって必ず最後まで書けるようになってから、
はじめてこのことを思いだそう)
窯変を起こすことと計画通りにやることのバランスが取れたとき、
編集も執筆も、奇跡が起こるものである。
そして我々は、その奇跡を人為的に起こすのが仕事である。
2015年10月31日
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