2015年11月03日

建前と本音はパンチラである

人間には表と裏がある。
社会的人格と本来の人格、
表の都合と裏の都合、
仕事とプライベート、
他人に見せる自分と一人の時の自分、などだ。

これをパンチラの関係にすると、一番面白くなる。


登場人物に一番興味が高まるのは、
「一体こいつの正体は?」
と思う瞬間である。

この人物がどういう人物か説明される→ふむふむ
→その人物の設定通りに行動→はいはい
→しかし、何か考えがあるのか、表の理由でない行動が→むむ?
→おかしい、何を考えているのか
→実は○○なのでは…?→おおっ?どういうことだ?

この瞬間だ。
本音が全部見え、素性が全て明らかになる過程が面白いのであって、
丸裸にされてしまったあとではあまり面白くない。
つまりパンチラだ。

おおっ?パンツ見えそう?見えた!の瞬間がピークであり、
パンモロには何も感じないのと同じだ。
脱がせる瞬間が面白いのであり、全裸は詰まらないのと同じだ。

女子フィギュアスケートの衣装で、
時々レオタードにスカートのヒラヒラがついた奴がある。
パンツに相当する部分は上半身の布の続きでしかないと、
分かっているにも関わらず、
優雅に滑りスカート部分がヒラヒラすると、
我々男子は「おおっ」とグッと来るものである。

スカート部分は、そのようなパンチラ状況
(隠された本音の部分が、表の部分から垣間見えそうな状況)
を作り出す装置である。
本当のパンツはないのに。
あのスカート部分は、立ったり座ったりしている普通の状態では、
そのように感じない。
風に乗り、滑っているときのヒラヒラ状態でのみ機能する。
僕はそれを称して「ドリーム」と命名したことがある。

夫が妻の出産に立ち会うと、
げんなりして萎えてしまい、二度と妻では立たなくなる現象がよくある。
おまたパッカーンを見てしまったからではないかと思う。
秘密を全部見てしまっては、おしまいなのだ。
パンチラからおまたの中身を想像することがワクワクするのであって、
おまたパッカーンを見たら、もうそのおまたに興味はなくなるのである。


さて、下ネタであることに意味がある。
下ネタは、どうしようもない人間の性や業のことだからだ。
我々はリビドーから影響を受け、
理性を曲げることがある。
その業を自覚することだ。
それは、人間観察ということ以上に、
観客を知るということでもある。
観客も我々と同じ人間である。
聖人ではない。
それは下ネタが好きという話ではなく、
業や性があるということである。

つまりは、
表の部分から、裏の部分が垣間見えるその瞬間が、
最もワクワクする、ということである。

ベタな例では、
乱暴なヤンキー(表)が、一人の時は子猫を拾っていたり(裏)、だ。
ギャップ、という言葉で示されるが、
この言葉は動的要素を含まないので詰まらない。
表から垣間見えた裏、と動的に表現するとよい。
最も近い言葉がパンチラ、という言葉なだけだ。


ドラマ風魔では、たとえば陽炎がいい例だ。
何を考えているのか分からない。
表は八将軍だけど、壬生に忠誠を誓っているような態度だが、
本音の所では同士討ちによる夜叉乗っ取りを画策している。
しかし本当にそれだけなのか?
と、どんどん彼の奥底が「気になる」動的過程が、
彼の魅力なのである。


恋と同じだ。
全部知りたい。
そう思わせ、少しずつ裏を知って行く瞬間が、
一番面白い。

そういう風に書くといい。
主人公でも、脇役でも、悪役でもだ。
posted by おおおかとしひこ at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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