2015年11月08日

ストーリーとは、ロジックである5

ロジックの話をしはじめたら、急にアクセス数が鈍くなった。
みんなロジックが苦手なのだろうか。
それとも単にここに飽きたのか。
ということを気にしつつ、
ロジックの話、まだ続けます。

一本のロジックがしっかり通ったとしても、
脚本はまだリライトで直すことがある。


勿論、大抵はより面白くならないか、
と、新たな論理的構造をひねり出すのである。

ここで○○という理由でなく、
△△という理由で行動するのはどうか、とか、
この場面をこう変えたら、理屈が通らなくなるとか。

とくに、原作ものの映画化においては、
これが頻繁にあると思う。
あの場面は入れられないか、
あの役は出せないか、
逆に、
あの場面は削れないか、
あの役は削れないか、
なにかとなにかを一緒に出来ないか、
などなどだ。

そもそもどんな事件をどう解決する話で、
主人公の行動の動機(理屈)は何で、
それを解決したあとに起こる変化は何か(テーマ)、
といった、一番大外のロジックも、
リライト過程においては変わることが多い。

そもそも○○という大枠ありきで書きはじめたのだが、
書き上がってみると△△という大枠のほうが良いのではないか、
と思ったとき、
大改造が行われる。

そのロジック改訂は手術の跡が分からないようにするのがプロの仕事というものだが、
巷にはその手術痕がしっかり残ってしまっているヤブもある。
たとえば実写版「ヤマト」。
あのクライマックス、いる?
何故ガミラス星での決戦をクライマックスにしなかったのか、
僕にはちっとも分からない。
デスラーと古代の因縁というか宿命のようなものを、
中盤に盛り込めなかったから、
ガミラス星がクライマックスにならなかったのだと予想する。
単に派手なバトルをやったって、
テーマを描くことにはならないからだ。
その派手なバトルになんの意味があるのか、
というのがロジックだ。
ヤマトの下手脚本家は、その意味をガミラス星決戦に込められなかったのだろう。
実際、元のヤマトにはそれがそもそも欠けていたような気がする。
元々、ヤマトは一年かけて往路復路を描く予定だったのだが、
打ち切りが決まって復路をバッサリ切ったらしい。
結果的に、ガミラス星バトルが本来のミッドポイントから、
クライマックスにならざるを得なくなったのだそうだ。
その復路をバッサリ切ったことで、
皮肉にも飽きる前に完結する丁度いい尺になったのかも知れないが。

実写ヤマトは復路を描くべきだったか?
ひょっとすると西崎某の、復路を描きたかった怨念の、
実現があの陳腐なクライマックスだったのかも知れない。
僕は劇場であのクライマックスを見ながら、
ジュブナイルや逆シャアを思い出していた。
ビジュアル的にパクり(しかもジュブナイルはセルフパクりだ)、
内容はよくある下らないもの、
しかもガミラス星がクライマックスにならなかった不満の、
三重苦であのクライマックスを見なければならなかった。

あのクライマックスは、完全に後付けの、
下手くそな継ぎはぎである。
何故ならその前に、第二ターニングポイントがないからである。
今までの全てのストーリーを踏まえた上で、
あとひとつだけクリアすれば全ての決着がつく、
当初から予定されていたクライマックスへの予感が、
ひとつもないからだ。
(単に、地球だ!→すげえ敵だ!やばい!レベルの、
小学生でも書ける入りだった)
あのクライマックスの導入によって、
実写ヤマトは、どんな前提からどんな結論を出すのか、
ロジックが分からなくなる。

地球の危機に対して、命を賭けて守るべきである、
という程度の、21世紀にしては陳腐なロジックしかそこにない。
そんなの、乗組員に出願するのだから当たり前ではないか。

「帰れないかも知れない」という故郷への思いというロマンチズムは、
地球を目の前にせず、最も遠いガミラス星でやるべきだったと、
僕は論理的に思うよ。


つまり、実写ヤマトは、ロジックが破綻している、
ちっとも面白くないストーリーである。
同様に、糞ガッチャマンや糞進撃を例にあげてもいいのだが、
馬鹿馬鹿しいのでやめておく。



ロジックが破綻するのは論外だ。


破綻したり矛盾していないことは、大前提。

その上で、こうでもないああでもないと、
ロジックを試行錯誤して練ることは、
実は論理に慣れていない人がやるのは難しい。
あちらを立てればこちらが立たないとか、
○○に変更したら△△と矛盾するとか、
そういうことが沢山出てくる。
(映画いけちゃんとぼくの改稿作業で、
そんなんばっかりになって、僕はとても辟易した。
変えてくれとプロデューサーは簡単に言うけど、
矛盾なくしかも面白くすることは、毎回出来るとは限らない。
そもそもそうしない方がいいのでは、と進言すると、
俺の言うことを聞かないのかとすねる。
もっと論理的に話せる人と、改稿はするべきだよ)

ロジックを常に整理しよう。

それが変わると、面白さがどう変わるかも、整理しよう。


それは経験上結構難しい。
ロジックの話になったら急にアクセス数が減ったのと同様、
人はロジックが嫌いで、上手く扱えないからだ。
挙げ句の果て、脚本は感情だとうそぶいて、
ロジックの破綻や弱くなったことの言い訳にしがちである。
自戒されたい。
posted by おおおかとしひこ at 15:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡様、こんにちは。ブログ記事をいつも興味深く拝見しております。ロジックの話でアクセス数に影響が出たとのことですが、ロジックの話というのは一般的に語られることは少ないので、もっとウェイトを占めてもよいのではないかとも思います。実際、教科書本と銘打つ脚本書籍にそうした論点を掲載しているものは少なく、かつ体系立てて構成されているものは殆どありません。ドラマ作りの本当の核心部分、というか製作のエッセンスを公開する事は、やはり、どのような作家、脚本家、あるいはプロデューサーにとっても難しいのだと感じました。
周囲にこうした製作周りの知人がいない私にとっては、大変貴重な指南書・・・というか指南記事となっており、ある意味良い時代になったと感じる次第です。今後も更新を楽しみにしております。
個人的な意見で恐縮ですが、大岡様の愉快で生っぽい例え話が割とお気に入りです。それでは。。。
Posted by T at 2015年11月10日 16:02
T様コメントありがとうございます。
ロジックという言葉で書いてみたものの、
多くは「プロット」と呼ばれるものと似かよってはいるのです。
ただプロットには感情とか台詞とか書いちゃってもいい、
みたいなニュアンスなので、ロジックと言ってみました。
体系だてて説明する例を思いつけばまた書きます。

生っぽいたとえは僕の得意とするところで、
人間の本質を炙り出すことこそ、文学だと思うのです。
女子にはよく引かれます(笑)。
Posted by 大岡俊彦 at 2015年11月10日 17:21
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