2015年11月09日

情報の粒度と階層

ものづくりには順序がある。
大から作って小に至る。

大まかな骨格を先に作り、
次に中くらいのもので中身を埋め、
細かいもので上塗りし、
更に細かいもので微細を穿つ。

今の段階で前の段階のものを直すことは出来ない。
前の段階のものを直すのなら、
今の段階でやっていることは全て捨てて、
前の段階に戻るべきだ。
そしてそれが確定してから、
新たな次の段階をまた一からコツコツやるのである。

デジタルだとその辺が曖昧になるが、
アナログでのもの作りをしていれば明らかだ。
油絵や彫刻や料理やプラモデルなどを想像すれば明らかだ。

これらの段階を、階層と考えることにしよう。
脚本には、以下の階層がある。


1 一言で言えるレベルの階層(アイデア、ログライン、タイトル、ワンビジュアル)
2 ストーリーの骨格の階層
3 感情の動きの階層
4 言葉づかいや表現力の階層

映画には実際、その後の階層があり、
5 その具体的実現の階層(キャスト、芝居、ビジュアル、音楽)
6 宣伝、配給、興行の階層
がある。

近年上手くいかない映画は、6からの逆算で作っているからだと思う。
本来の1から作るべきだと僕は常々思っている。
で、1から作る実力がもうないから、
1から4をすっ飛ばして、既に出来ている原作を「買う」のである。
6→5→原作ハント
しかしていないから、今の映画はやばいと思っている。
まあ、業界批判はこの程度にしておこう。

今回の主題は、
「あなたが今思いついた閃きは、
どの階層のアイデアなのか自覚すること」だ。


階層によって、情報の粒度が異なる。

相変わらずロッキーで示そう。

起死回生の為その試合出場を決意する、
義兄があまりにダメ男なので妹を家から出す、
対戦相手が怪我をし、挑戦者席が空席になる、
などは、2の階層である。
前記事までの流れでいえば、ロジックである。


あるいは、
「俺には全盛期なんてなかった」という名台詞や、
生卵を飲んで誰もいない町を走るとか、
ロッキーはサウスポーだから嫌がられて試合を組まれにくいとかは、
4の階層だ。

エイドリアンがロッキーに犬をプレゼントする
(よくカットされる場面。実際にスタローンの愛犬らしい)、
ロッキーは左パンチを連打し、殴られる度に水や汗を吹く、
ミッキーがトレーナーを申し出る場面でトイレのドアを上手く使う、
などは5の階層だ。

ミッキーと喧嘩したため彼にはトレーナーを頼みにくい、
エイドリアンから色んなものを買っている、
ミッキーは全盛期の新聞を切り抜いてずっと持っている、
あたりは3の階層だろう。

男のプライドについて書きたい、
ボクシングを題材としたい、
アメリカンドリームを書くべきだ、
などは1の階層だ。

ちなみに、
「キリスト像が見守るフィラデルフィアの場末の、
暗い地下ボクシングの興行で、ファイトマネーをぼったくられる」
という名オープニングは、
ひょっとすると最初に思いついたワンビジュアルかも知れない。
映画のアイデアを思いつくとき、
個々のアイデアよりもシーンのアイデアが最初に湧くことが多い。
最初のアイデアとして、これは別個においておくとよい。
大抵これは良い閃きであり、
これをベースに全てのアイデアが出てくるものだからだ。



さて。

あなたは色々なアイデアを(最終的に使わないものも含めて)出す。
一本の脚本にいくつのアイデアがあるかは不明だ
(そもそもアイデアの数え方が曖昧だし)が、
ざっくり数百とか数千ぐらいは、体感で出していると思う。
数十のレベルではないと思う。

ようやく本題だ。

その膨大なアイデアは、一体どの階層のものなのか、
自分で意識しているだろうか、という話だ。

今ロジックの骨格を練っているときに、
「このカットでネガポジ反転しよう!」「○○って呼んで!」
という思いつきは、階層が違うアイデアである。

あるいは、台詞を書くときに、
そもそもの設定を後付けで変えたりするのは、
階層の違うものを持ってくるからダメなのだ。


勿論、素晴らしいアイデアは、
創作の突破口になる。
それありきで発想することは、芯を作ることである。

しかし、それと階層ごとにきちんと作っていくことは違う。
今、どの階層のアイデアを練っているのか、
自覚しよう。
むしろ、アイデアノートを5段ぐらいに割って、
思いついたアイデアを階層ごとに整理していくのもよいだろう。

第一階層のことを考えていたら、
「監督と女優が大喧嘩したぐらいの、
物凄いエネルギーの詰まった作品」という、
第六階層の宣伝のアイデア(これは宣伝用の嘘である)が出た、
「嫌われ松子の一生」なんて例もあるけれど。



映画脚本に必要なアイデアは、数百から数千と、仮に定めてみた。
全ての階層のアイデアが、ちゃんと揃っていることが必要だ。
足りてなく、かつ、多すぎてとっちらからず、
という塩梅は、何度も失敗して感覚的につかむしかない。
ある階層のアイデアは豊富だけど、
ある階層のアイデアが弱いとかも、分かるようになる。

それは違う階層のアイデアではないかい?
今やってることと別の階層に気をとられたかい?
それを自覚しないから、
創作の迷路に入って途中で死んでいるのかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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