度々書いてるこのテーマ。
デジタルは減点主義だと思う。
アナログは加点主義だと思う。
つまりは、僕はカラオケの採点が大嫌いだという話。
僕は昔から、フィギュアスケートの採点が好きではない。
ある技の組み立ては自由裁量かも知れないが、
結局減点主義だからだ。
フィギュアの選手も、解説者も、
ミスをしたかどうか、ミスがないように、
などと、マイナス点を競っているからだ。
それは、テストで100点を取ったことのない人間の生き方だ。
僕は県で何番かに入るIQだったから、
小学校のテストで100点以外取ったことがない。
出来杉くんみたいな小学生だった。
だからテストで一喜一憂することに意味を感じたことがない。
点数で評価出来るものには必ず正解があり、
合ってるか合ってないかという「距離」を測定するに過ぎない。
その距離を測定することに、あまり意味を感じない。
点数のつけようがない芸術に、だから僕は惹かれるのである。
中学の頃、美術教師にどうやって点数をつけるのか聞いてみたことがある。
デッサンは正確性とかを見るけど、
ぶっちゃけ、いい絵の順で点数をつけるのだそうだ。
いい絵の順をつけられるのかと聞いたら、
その見る目も込みで僕は美術教師だ、と答えられた記憶がある。
うちの中学高校(高槻中学高校の六年男子校)は、
そういう骨のあるヘンテコな教師が沢山いて、
そこで学んだことは今でも僕の中に生きているものだ。
美術に点数はない。
順番だけがある。
体育や音楽も同じことかも知れない。
僕はたまたま絵が得意だったから、特にこのことを覚えている。
突然、仕事の話に戻ろう。
昨今予算がなくて、
音楽を打ち込み(生演奏を録音するのではなく、
サンプリングでやること。楽器の音データを周波数変形させて、
データだけで音楽をつくること。ボカロみたいなことだ)
でやることがとても多い。
生楽器は、音楽製作において贅沢品になりつつある。
サンプリングが上手く行けばいくほど、
生楽器生演奏などは必要ない、
と理論的には思われる。
ほんとうか?
何だかんだいって、生楽器生演奏の方がいいのである。
そりゃそうだ。
音楽は人の創ったものであり、
機械が創ったものではない。
機械はあくまでシミュレーションしているだけだからだ。
なぜだ?
機械演奏が正確すぎるからだ、
というのは音楽プロでよく言われることである。
人間の演奏には、味やグルーヴがあるのに、
機械にはそれがないと。
さらに細かく言えば、
人は間違う。
微妙にタイミングがずれたり、音程やビブラートが不安定になる。
それが個性として認識できたとき、
それは間違いではなく味になる。
たとえば、バイオリンを四つ重ねる弦楽は、
最近のサンプリングの発達によって、
人間の演奏とあまり区別がつかなくなってきた。
しかし、コンピューターの打ち込みはなんだか味気ないのだ。
少しだけタイミングをずらしたり音程を揺れさせても、
やはりわざと間違えたようにしかならず、
味に到達することは難しい。
で、本題。
僕は、人間(アナログ)というものは、
「間違うところは間違うが、
決めるところは決める」
というものではないかと、最近考えるようになった。
音楽の演奏で言えば、
ちょいちょいどうでもいいところは間違ったり揺れるのだけど、
ズバリ行きたいところは絶対外さない。
その「取捨選択」、
つまり、何をどうでもいいやと思っていて、
何を決めるべきだと思っていること、
そのものが人間ではないかと思うのだ。
これは、フィギュアスケートの採点法のような生き方からは、
決して生まれない。
たとえば昔の野球選手は、
夜遊びまくったり暴飲暴食しても、
九回二死満塁では必ず逆転ホームランを決めた。
(かどうかは知らないが、
長嶋や王や清原はそういうイメージがある)
勝新太郎や横山やすしだって、
生き方は破天荒で滅茶苦茶だったが、
決めるところは毎回キッチリ決めてきた。
ある理想の正解があって、
その距離が離れた方が減点される、
それを減点法の生き方とするならば、
何を自分が大事にしているかを決めて、
それをキッチリやり、
他は大事だと思わない(ミスしたり捨ててもいい)、
という生き方を加点法と呼ぶことにしよう。
(本来の加点法ではないかもしれないけど、この文脈で)
デジタルは、減点法だと思う。
アナログは、加点法だと思う。
減点法は、ある正解との距離を計る。たとえば差分を二乗して積分する。
加点法は、何かのオリジナリティに点数をつける。
(大減点があれば引くこともある)
デジタル社会になって、
人々が減点法的な生き方になってる気がする。
ミスをすれば炎上するから、
突っ込まれない為の防備しかしない社会の、息苦しい感じ。
僕は昭和の人間だから、昔の野球選手みたいな生き方のほうが好きだ。
普段はたとえ滅茶苦茶であっても、
決めるところはビシリとオリジナリティを決める生き方だ。
昨今は減点法ばかりで、このような生き方が許容されない。
(個人的に、女の社会進出のせいもあると思っている。
女の人生は減点法で他人から評価されがちだから、
いざ社会に出ると減点法で部下を評価してしまう。
男の上司は加点法の生き方なのに。
で、びくびくする男が減点法の生き方になってしまう。
最近そんな男子社員が増えた。女子社員は益々加点法な生きのいいのが多いが)
デジタルは減点法だ。
アナログは加点法だ。
デジタルは、本当に人を幸せにしたか?
それを意識しないとその意識から抜け出せないものは、
無意識の支配という。
デジタルの過剰によって、
僕らは無意識に支配されているような気がする。
ということで、僕はカラオケの採点が嫌いなのである。
譜面通りに歌えば人の心が動くのか。
正解との差分の二乗積分で、人の心の何が動くのか測定可能なのか。
しかも我々は、その譜面を作る人間なのにだ。
(あ、たぶんフィギュアスケート選手にもならないと思います)
2015年11月11日
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