2015年11月11日

デジタルは人を幸せにしない:減点主義

度々書いてるこのテーマ。

デジタルは減点主義だと思う。
アナログは加点主義だと思う。

つまりは、僕はカラオケの採点が大嫌いだという話。


僕は昔から、フィギュアスケートの採点が好きではない。
ある技の組み立ては自由裁量かも知れないが、
結局減点主義だからだ。
フィギュアの選手も、解説者も、
ミスをしたかどうか、ミスがないように、
などと、マイナス点を競っているからだ。

それは、テストで100点を取ったことのない人間の生き方だ。
僕は県で何番かに入るIQだったから、
小学校のテストで100点以外取ったことがない。
出来杉くんみたいな小学生だった。
だからテストで一喜一憂することに意味を感じたことがない。
点数で評価出来るものには必ず正解があり、
合ってるか合ってないかという「距離」を測定するに過ぎない。
その距離を測定することに、あまり意味を感じない。

点数のつけようがない芸術に、だから僕は惹かれるのである。
中学の頃、美術教師にどうやって点数をつけるのか聞いてみたことがある。
デッサンは正確性とかを見るけど、
ぶっちゃけ、いい絵の順で点数をつけるのだそうだ。
いい絵の順をつけられるのかと聞いたら、
その見る目も込みで僕は美術教師だ、と答えられた記憶がある。
うちの中学高校(高槻中学高校の六年男子校)は、
そういう骨のあるヘンテコな教師が沢山いて、
そこで学んだことは今でも僕の中に生きているものだ。

美術に点数はない。
順番だけがある。
体育や音楽も同じことかも知れない。
僕はたまたま絵が得意だったから、特にこのことを覚えている。


突然、仕事の話に戻ろう。
昨今予算がなくて、
音楽を打ち込み(生演奏を録音するのではなく、
サンプリングでやること。楽器の音データを周波数変形させて、
データだけで音楽をつくること。ボカロみたいなことだ)
でやることがとても多い。

生楽器は、音楽製作において贅沢品になりつつある。
サンプリングが上手く行けばいくほど、
生楽器生演奏などは必要ない、
と理論的には思われる。

ほんとうか?

何だかんだいって、生楽器生演奏の方がいいのである。
そりゃそうだ。
音楽は人の創ったものであり、
機械が創ったものではない。
機械はあくまでシミュレーションしているだけだからだ。

なぜだ?

機械演奏が正確すぎるからだ、
というのは音楽プロでよく言われることである。
人間の演奏には、味やグルーヴがあるのに、
機械にはそれがないと。
さらに細かく言えば、
人は間違う。
微妙にタイミングがずれたり、音程やビブラートが不安定になる。
それが個性として認識できたとき、
それは間違いではなく味になる。
たとえば、バイオリンを四つ重ねる弦楽は、
最近のサンプリングの発達によって、
人間の演奏とあまり区別がつかなくなってきた。
しかし、コンピューターの打ち込みはなんだか味気ないのだ。
少しだけタイミングをずらしたり音程を揺れさせても、
やはりわざと間違えたようにしかならず、
味に到達することは難しい。

で、本題。


僕は、人間(アナログ)というものは、
「間違うところは間違うが、
決めるところは決める」
というものではないかと、最近考えるようになった。

音楽の演奏で言えば、
ちょいちょいどうでもいいところは間違ったり揺れるのだけど、
ズバリ行きたいところは絶対外さない。
その「取捨選択」、
つまり、何をどうでもいいやと思っていて、
何を決めるべきだと思っていること、
そのものが人間ではないかと思うのだ。

これは、フィギュアスケートの採点法のような生き方からは、
決して生まれない。
たとえば昔の野球選手は、
夜遊びまくったり暴飲暴食しても、
九回二死満塁では必ず逆転ホームランを決めた。
(かどうかは知らないが、
長嶋や王や清原はそういうイメージがある)
勝新太郎や横山やすしだって、
生き方は破天荒で滅茶苦茶だったが、
決めるところは毎回キッチリ決めてきた。

ある理想の正解があって、
その距離が離れた方が減点される、
それを減点法の生き方とするならば、
何を自分が大事にしているかを決めて、
それをキッチリやり、
他は大事だと思わない(ミスしたり捨ててもいい)、
という生き方を加点法と呼ぶことにしよう。
(本来の加点法ではないかもしれないけど、この文脈で)

デジタルは、減点法だと思う。
アナログは、加点法だと思う。
減点法は、ある正解との距離を計る。たとえば差分を二乗して積分する。
加点法は、何かのオリジナリティに点数をつける。
(大減点があれば引くこともある)

デジタル社会になって、
人々が減点法的な生き方になってる気がする。
ミスをすれば炎上するから、
突っ込まれない為の防備しかしない社会の、息苦しい感じ。
僕は昭和の人間だから、昔の野球選手みたいな生き方のほうが好きだ。
普段はたとえ滅茶苦茶であっても、
決めるところはビシリとオリジナリティを決める生き方だ。
昨今は減点法ばかりで、このような生き方が許容されない。
(個人的に、女の社会進出のせいもあると思っている。
女の人生は減点法で他人から評価されがちだから、
いざ社会に出ると減点法で部下を評価してしまう。
男の上司は加点法の生き方なのに。
で、びくびくする男が減点法の生き方になってしまう。
最近そんな男子社員が増えた。女子社員は益々加点法な生きのいいのが多いが)


デジタルは減点法だ。
アナログは加点法だ。
デジタルは、本当に人を幸せにしたか?
それを意識しないとその意識から抜け出せないものは、
無意識の支配という。
デジタルの過剰によって、
僕らは無意識に支配されているような気がする。


ということで、僕はカラオケの採点が嫌いなのである。
譜面通りに歌えば人の心が動くのか。
正解との差分の二乗積分で、人の心の何が動くのか測定可能なのか。
しかも我々は、その譜面を作る人間なのにだ。
(あ、たぶんフィギュアスケート選手にもならないと思います)
posted by おおおかとしひこ at 09:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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