2015年11月11日

「こうだったら面白いよね」だけではだめだ

今絶賛編集中で、J-waveから流れてきたネタに反応。

触覚をダウンロード出来るiPhoneという小説の話。
言葉で検索出来るようになったのだが、
上手く触覚を表現できなくて四苦八苦する、
というアイデアだった。

抜群のアイデアだけど、
同時に僕は足りないと思った。


「で、どうなるの?」がだ。

触覚を検索できない、が落ちになるのでは、
単なる小話に過ぎず、
そこから長編に至る何かは足りないと思ったのだ。

ラジオのトークで聞く限り、
その先は分からず、
触覚を示すために1ページごとに違う紙に印刷して、
手で綴じていたらしい。
その想定の面白さもとても良いと思ったが、
それがトークに出てくる時点で、
「で、どうなるの?」があんまりない話なのかなと直感した次第。



「こうだったら面白いよね」だけだと、
ここまでで終わってしまう。
「触覚と検索の組み合わせ」という、一点アイデアだけになってしまうのである。
「それで、どうなるの?」に、
それに匹敵するアイデアがあると、
はじめて「展開」というのが生まれるのだ。

たとえば、
「触覚検索の達人がいて、エロい触覚を試しまくる人に会いに行く」
「検索履歴を誰かに見られてしまう」
「盲パイみたいな、触覚から逆引きをする(箱の中身は?みたいなことか)」
「触道みたいな裏世界がある」
「この世にない触覚にたどり着く。それは人工的に合成された触覚で、
それを作った人に会いに行く」
「主人公の触覚が失われる」
「触覚の感じ方には差違があり、様々な触覚の持ち主に会いに行く」
などなどの「次の」アイデアを思いつかない限り、
その後の展開や、落ちは面白くならないと思う。

実際にこの小説がその後とても面白い展開になるのなら、
それを聞いてみたいところだ。
(単に紹介が下手だった可能性もあるしね)



さて。

あることを思いつく。
「こうだったら面白いよね」と。
しかしそれで終わっては面白くない。
出落ちになる。

「で、どうなるの?」が必要だと感じるのは、
その最初のアイデアに溺れなかったときだけだ。
(大抵、最初の思いつきだけで面白くなってしまい、
それを実現することにエネルギーを使ってしまい、
ディテールを詰めて書いてしまい、
ふと詰まったとき何も次に準備していないことに気づき、
その先が書けなくなる)


革命的な最初の思いつきを生かせるのは、
それが大したことないぐらいの、
次のアイデアが出たときだ。

発展的に、アイデアを出すのだ。
で、どうなるの?と。
posted by おおおかとしひこ at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック