2015年11月15日

進んで変化する人はいない2

人が内面的に変化するのは、次の二つだ。

環境や外部の事情によって、強制的に変えられた場合。
(彼は変わってしまった)
自ら望んで変わる場合。
(彼は成長した、考えをガラリと変えた)


悪落ちは前者が多い。

あんなに優しい人だったのに、
それを変えてしまった過酷な環境、
などのような悲劇に使われることが多い。

あるいは、人為的な洗脳もよくある。
薬物や機械によるもの(時計仕掛けのオレンジからウルヴァリンまで)
や、嘘で周囲を固めて何かの真実をつくりあげ、
ショックで心の支えを失わせるなどだ。

僕は、アナキンスカイウォーカーの悪落ちに関しては、
今一つ共感出来なかった。
エピソード1で預けられた義理の母が殺されることがトリガーなのかと予想していたが、
そうでもない感じだった。
何でこの人は悪になるのか、を描くことは、
実はとても難しい。
最初から悪だったから、ではない場合、
内面の変化を描かなくてはならないからだ。

スターウォーズ123での、アナキンがダース・ベイダーに落ちていく様が、
失敗したことは、
観客は、内面の変化をただ見るだけでなく、
「感情移入して入り込みたい」ことを示唆する。

設定上内面が変化したなんて、どうでもいい。
そこに人間の業を見て、泣いたり恐怖したり理不尽に怒りたいのだ。
その感情に共感することが、
物語を見る醍醐味ではないか。


後者の変化についても同じくである。
何故自分から変わろうとするのか、
そこに感情移入して一体化出来ない作品は糞だ。

簡単な例で出すのは、
「内気な男の、好きな女の子への告白」である。
主人公が彼女を好きで好きでどうしようもなくて(動機)、
でも彼女に釣り合う自信がない(内的障害)。
従って、内的障害を取り除けば動機を実現できる行動(告白)に移れる。

大抵は、通過儀礼に必要なことが起こる。
痛みの伴う成長だ。
或いは彼女を守るヒーロー的行動を、
自信のないまま強制的にしなければならない羽目になり、
それをなすことによって自信が生まれ、
(勢いで)彼女に告白する、
というパターンもあるだろう。

いずれにせよ、「彼女に告白するのに必要な自信」以上の自信が生まれないと、
さらっと彼女に告白することは出来ない。
間接的にいくか直接的にいくかは話の構造によるが、
「自信を得る」という内的障害を取り除いた変化が必要だ。

「内向的な少年の告白」という類型的ログラインは、
「自信を得る」という展開を描いた物語なのだ。
アムロがララアやフラウに好きだと言うためには、
ガンダムでリックドム10機を落とすまでに自信が生まれないと出来ないのである。

観客全てが自信に溢れる人ではない。
だから主人公が自信を得る過程を見て、
そうだ、いいぞ、頑張れ、と応援し、
いつの間にか、彼が自信を得ると、自分も自信を得たようになるのだ。
すなわち感情移入である。

あなたは、自信を得るという話を書くのなら、
観客の感情をそのように(結果的に)誘導しなければならない。



内的変化は、受動的だろうが、能動的だろうが、
我々観客の感情移入が伴うべきだ。
それは、基本的に、感情的痛みをともなう辛いことだからだ。

映画は、
足一本失う、肉体の痛みを伝えることは出来ない。
しかし、主人公の心の痛みを伝えることが出来る。
posted by おおおかとしひこ at 13:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック