人が内面的に変化するのは、次の二つだ。
環境や外部の事情によって、強制的に変えられた場合。
(彼は変わってしまった)
自ら望んで変わる場合。
(彼は成長した、考えをガラリと変えた)
悪落ちは前者が多い。
あんなに優しい人だったのに、
それを変えてしまった過酷な環境、
などのような悲劇に使われることが多い。
あるいは、人為的な洗脳もよくある。
薬物や機械によるもの(時計仕掛けのオレンジからウルヴァリンまで)
や、嘘で周囲を固めて何かの真実をつくりあげ、
ショックで心の支えを失わせるなどだ。
僕は、アナキンスカイウォーカーの悪落ちに関しては、
今一つ共感出来なかった。
エピソード1で預けられた義理の母が殺されることがトリガーなのかと予想していたが、
そうでもない感じだった。
何でこの人は悪になるのか、を描くことは、
実はとても難しい。
最初から悪だったから、ではない場合、
内面の変化を描かなくてはならないからだ。
スターウォーズ123での、アナキンがダース・ベイダーに落ちていく様が、
失敗したことは、
観客は、内面の変化をただ見るだけでなく、
「感情移入して入り込みたい」ことを示唆する。
設定上内面が変化したなんて、どうでもいい。
そこに人間の業を見て、泣いたり恐怖したり理不尽に怒りたいのだ。
その感情に共感することが、
物語を見る醍醐味ではないか。
後者の変化についても同じくである。
何故自分から変わろうとするのか、
そこに感情移入して一体化出来ない作品は糞だ。
簡単な例で出すのは、
「内気な男の、好きな女の子への告白」である。
主人公が彼女を好きで好きでどうしようもなくて(動機)、
でも彼女に釣り合う自信がない(内的障害)。
従って、内的障害を取り除けば動機を実現できる行動(告白)に移れる。
大抵は、通過儀礼に必要なことが起こる。
痛みの伴う成長だ。
或いは彼女を守るヒーロー的行動を、
自信のないまま強制的にしなければならない羽目になり、
それをなすことによって自信が生まれ、
(勢いで)彼女に告白する、
というパターンもあるだろう。
いずれにせよ、「彼女に告白するのに必要な自信」以上の自信が生まれないと、
さらっと彼女に告白することは出来ない。
間接的にいくか直接的にいくかは話の構造によるが、
「自信を得る」という内的障害を取り除いた変化が必要だ。
「内向的な少年の告白」という類型的ログラインは、
「自信を得る」という展開を描いた物語なのだ。
アムロがララアやフラウに好きだと言うためには、
ガンダムでリックドム10機を落とすまでに自信が生まれないと出来ないのである。
観客全てが自信に溢れる人ではない。
だから主人公が自信を得る過程を見て、
そうだ、いいぞ、頑張れ、と応援し、
いつの間にか、彼が自信を得ると、自分も自信を得たようになるのだ。
すなわち感情移入である。
あなたは、自信を得るという話を書くのなら、
観客の感情をそのように(結果的に)誘導しなければならない。
内的変化は、受動的だろうが、能動的だろうが、
我々観客の感情移入が伴うべきだ。
それは、基本的に、感情的痛みをともなう辛いことだからだ。
映画は、
足一本失う、肉体の痛みを伝えることは出来ない。
しかし、主人公の心の痛みを伝えることが出来る。
2015年11月15日
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