2015年11月16日

最初に主人公を傷つけよう

必ずしもそうしなくてはいいけど、
なんとなくこれをしとくと楽になる。


序盤は大抵主人公の日常が紹介される。

主人公の初登場がインパクト溢れる大活躍シーンだったとしても、
その後は日常に戻るものだ。

その前にオープニングシーン、たとえば主人公のいない場所での事件発生、
があったとしても、
主人公の日常は、はじまって、遅くとも三番目に描かれる内容である。


主人公の日常は、
彼または彼女の、現在の(劇中の)立ち位置を示すものだ。
主人公は普段どんなやつなのか、
職業や年齢や性格や人生観などの、
一部を見るシーンである。
しかし何か起こらないと単なる説明シーンになって、詰まらないので、
何か事件を起こして、それについて何かすると、
退屈な日常シーンでなくなる事が多い。

で、今回は、それが、
傷つけられるシーンだとよい、という考え方だ。
主人公は、日常に傷つけられている。
何かには知らない。物語によるだろう。

物語とは、主人公の変化を描くものだ。
主人公が日常に傷つけられていることがビフォーなら、
傷つけられないように変わったあとが、アフターになる。
つまり、ビフォーアフターを描きやすいフォーマットなのだ。

また、感情移入は自分より下の者への同情から起きやすいことも、
既に議論した(全てではない)。
とすると、日常に傷つけられている主人公は、
少なくとも自分よりいきなり下だと思うことも出来るし、
主人公同様、日常に傷つけられている人は、主人公に同調するだろう。
つまり、
感情移入に関しても有効なのだ。


必ずしもそうしなければならない訳ではない。
僕の好きなタイプの始まり方が、
たまたまそうなのかも知れない。
(たとえば「かいじゅうたちのいるところ」の冒頭30分は、
僕は狂おしく好きだ。しかし、そこから糞映画なのだ。
同じような始まり方で、ラストまで行ききった例は、
「ネバーエンディングストーリー」と対比的に論じられるかも知れない)

最初に主人公は傷つけられる。
名作の芽が、そこにあるような気がする。
posted by おおおかとしひこ at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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