地図を作ることについて、過去に書いた。
主人公が住んでいるところや、
話が起きる現場の地図を作ることは、
話の中のリアリティーや空気のようなものを、
自分のなかに構築するのにとても有効だ。
関ヶ原合戦を描くのに、現場の関ヶ原に行ってみることは、
行かずに想像で書くより、多くのリアリティーをもたらすだろう。
(たとえ全然今が都会化されていたとしても)
さて、これらは空間に関する方法論。
時間に関してもやってみよう。
つまり、作中のカレンダーを作るのだ。
単純に年表を作るのは、映画を作るとき助監督がやることもある。
この日は平日なのか、休日なのか、
何月何日ごろの出来事で、
時間経過のあいだ、どれくらいの時間が経っているのかなどだ。
厳密に決める必要はないが、
季節感や周囲の人の演技、
衣装や小道具(たとえば新聞を見たときの日付をどうするか)
について、厳密に決めるときに使うことが多い。
(たとえばよくあるのが、現場で小道具係が聞いてくる、
腕時計を何時何分に設定すればいいか、などだ)
厳密に脚本に決められていなくても、
現場はそのつもりで撮る為の、
架空の設定を作っておく。
別にそれが何月何日と明示するためではない。
齟齬が起きず、統一的に見られるようにするための配慮のようなものだ。
一度脚本が仕上がると、
助監督チームは、
この話が成立するような、カレンダーの実際の日付をひねり出す。
次の日も今日も休みだから、
最初の日は土曜日でなくては話が成立しない、
などのように、脚本に書いていないことでも、
齟齬がないように、嘘をつきながらも、都合よく作り上げる。
さて本題。
カレンダーを作れ、というのは、このことではない。
各人の今現在の手帳の中のカレンダーをつくれ、
ということを言おうとしている。
つまり、ほとんどの人には、カレンダーに決まった予定がある、
というリアリティーの為である。
社会人なら、カレンダーを見ながら、現在の行動を決めるはずだ。
今なら、年末調整と冬ボーナス査定が大きなイベントだから、
総務は保険の書類やら扶養家族やらの書類提出の、逆算で今を動いているはずだ。
なにか仕事を抱えている人は、納期が迫りつつも、
年末調整の書類を纏めなければならず、ぶつくさ言いながら仕事をしているはずである。
管理職ならば、ボーナス査定のために、半期分の部下の仕事を一覧するための書類を纏めなければならず、
それは日々の業務と平行してしなければならない。
あるいは恋人たちなら、クリスマスの予定を気にせざるを得ない。
もう予約間に合わないのかね。
その辺はよくわからないが、
全ての人間の行動は、
カレンダーに書き入れた未来の予定に、
左右されるというものだ。
そして、物語では、
大抵予定にない突発が起こって、
各部を調整しながら進めていく、ということが起こるものである。
突発的事件や、その展開については、
熟考していることだろう。
しかし人間のリアリティー、
そもそもあった予定のキャンセルやそれを動かして緊急案件をやるとかの、
時間(予定)に関するリアリティーは、
意外と忘れているものだ。
現在は、未来の締め切りありきで動いている。
現実ではそうなのに、
架空の世界の人々がそうでない理由はない。
たとえば、
「ダイハード」のジョンマクレーンは、ずっとクリスマス休暇のことを気にしている。
「情婦」の弁護士は、ずっと休暇のことを気にしている
(そしてラストにそれを全て覆す素晴らしいどんでん返しがある)。
それはリアリティーであるとともに、人間の行動に関係する。
動機としてだ。
カレンダーを作ろう。
その人の手帳を作り、その人がどういう予定で行動しようと思っていたかという、
当初の計画を設定しておこう。
それが歪んだとき、どのような反応をするかが、
人間を描くこと(のひとつ)だ。
2015年11月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック