自分が知ってる短い話を、誰かに語ってみよう。
「桃太郎」ぐらいでいい。
それを、もう一度語ってみよう。
それがリライトということだ。
このとき、注意点がふたつある。
1. 以前の語りのダメなところを修正し、より良い語りにすること
2. 二回目だからといってだれず、まるではじめてのように語ること
1はまあ、誰でも出来る。
問題は2だ。
一回語っただけで飽きちゃダメなのだ。
何回語ったとしても、
うわっ!川上からこんな大きな桃がっ!
というところははじめて見たような大きさとして、
語らなければならない。
それには、
内容を知っている自分と、
内容を知らない自分の、
両方を意識する必要がある。
内容を知らない自分に対して、
内容を知ってる自分、
改良された何バージョンかめの自分が、
語るのである。
よくある話で、
「何回も書いてるうちに、
何度も編集してるうちに、
何がいいか分からなくなった」
というのは危険の領域に入っていることを意味する。
内容を知らない自分が、いなくなったということだからだ。
(これを避ける最も合理的で安価な方法は、
二三日寝ることだ。
体力は回復するし、適度に忘れるし、最高だ。
これが出来ないのは、大抵スケジュールが切羽詰まっているからである。
選択肢はふたつ。
寝ることを見越してスケジュールに入れる。
締め切りを泣いて伸ばしてもらう。
どちらも出来ないとき、悲劇が必ず起こる)
語り直す能力は、
内容を知らない自分を、作り上げられるかどうかに、
おそらく比例する。
リライトとは、
「私はこう書きたかった訳ではない、を直す」でも、
「予算やキャストの都合で書き直す」でも、
「プロデューサーの意向を反映させる」でも、
「直したことをばれないように手術する手腕」でもない。
「はじめて聞く人が一番楽しめるように作り直すこと」だ。
(それを忘れてるから、
最近の脚本は詰まらないのが多いのかも知れない。
また、ディズニーは比較的これが上手だと思う)
2015年11月18日
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