プロットが難しいんじゃない。
面白い部分を思いつくのが難しい。
と前記事で結論づけた。
そうか?
物凄い面白いことを思いつくのが難しいだけで、
ちょっと面白いことを思いつくぐらいは、
造作もない。
あなたは、少なくともその程度の才能が必要だ。
たとえばクラスで笑いの中心にいたり、
クラスで集まっていたとき、 時々鋭いことを言って笑いをかっさらう、
一目置かれたやつでもいい。
僕は大阪では前者で、東京に来てから後者のポジションで生きている。
僕はツッコミの才能のほうが強いので、
大阪では強力なボケを見つければフロントに立てた。
東京では、ボケをふるという話の流れはないので、
ツッコミ的に鋭くメインの話題に切り込むスタイルに自然となった次第だ。
さて、別に笑いと面白さは直結ではない。
興味深かったり、世の中の真実をついていたり、
感動したり、勇気がわいたり、いい話だなあと思ったり、
成る程ねと感心したり、うまいこというね、
これがこうだったらいいのに、
などなど、
人の話の中での面白さは、バラエティーがたくさんある。
それを、退屈の反対を面白いというだけだと思う。
あなたは、いつも面白いことを言ってなくてはならない。
それは、原稿に直結する。
普段から面白いことを言わない奴は、
原稿も面白くないと思う。
別にお笑い芸人になれと言っている訳ではない。
退屈の反対のことを言えるかどうかというだけだ。
普段から湯水のように、面白いことを言おう。
その中でも、上澄みのほうを、
自分の原稿に生かすのだ。
普段から面白いことを言ってないと、上澄みもたいしたことないよ。
(別の流派もある。人と話さず、
溜め込んで漏らすな、というスタイルだ。
専門性が高い内容ならそれでもいいけど、
マスコミュニケーションである映画は、
人との話で使えるレベルが一番だと思う。
元々話ベタだが、書くときだけは面白いというスタイルもあるにはある。
本当に面白いそういう人にはまだ会ったことない)
あなたはどんな面白い話をしてくれるんだ?
聞くのは俺じゃないよ。
日本全国の観客がそう思って、君の前にいると思うべきだ。
そのときに、普段からの上澄みがものをいうと思うよ。
普段からの上澄みはどれくらいで尽きるかな?
プロットを書くってのは、そういうことだと思う。
2015年11月19日
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