結局、プロットを書くときに物凄く悩むのは、
そのたったひとつの面白ポイントを、
ひとつに決めきれないことではないだろうか。
下手くそなCMを見てみよう。
下手くそなCMは、
15秒の中に、何個も言いたいことを入れてしまうCMである。
省エネNo.1なのか、業界最速なのか、業界最薄なのか、
どれも伝えたい、と中途半端な判断になっているものが最もダメだ。
僕はこれをプロポーズによくたとえる。
あなたを幸せにします、年収はいくらいくらで、生涯年収はいくらです、
年一回は旅行につれていきます、親の介護は大丈夫です、
家を購入する計画があります、
などなどの条件を出すプロポーズは、
よくわからない。
紙に書いて一覧して、他の一覧と比べることは可能だ。
しかしそれはプロポーズの現場でやることではない。
後日の話である。
プロポーズの現場15秒でやるべきことは、
「君を世界で一番愛している」と伝えることだ。
それ以上のことは伝えられない。
たったひとつに、メッセージは絞るべきなのだ。
で、それをひとつに絞れない、優柔不断な集団が、
(集団の意思をひとつに決めるには何が必要か。
責任だ。日本人の集団は責任回避集団である)
沢山のメッセージをCMに入れたがる。
結局、何を伝えたいCMなのか分からなくなる。
たった15秒のことで大騒ぎである。
いわんや二時間をや。
じゃあ、長いものになれば、
沢山のメッセージも入るのではないか、
と、愚かに考えるバカもいる。
二時間を楽しませるコツは、
たったひとつに絞ること、という、
15秒と同じ原則があることを知らない。
15秒だろうが二時間だろうが文庫十冊だろうが、
「ひとつの塊から発せられるメッセージ」としては等価である。
それは、ひとつの強い面白さに凝縮されるべきなのだ。
下手なプロポーズを、二時間すると、それぞれのスペックは伝わるか?
否だ。
お前を一番愛していると二時間うっとりするようなプロポーズのほうが、
優れた二時間だ。
さて、プロットだ。
あなたはこれから書くべき一本の話の、
何を一番大事で、面白い部分だと考えるのか?
そこが正確に捉えられるかが、プロットの肝だ。
リライトを何度もやるのも、
それがたったひとつに定まらないからである。
お話には、色んな要素がある。
どれを最も面白い部分だと思うかが、
あなたが正確に自分の作品を捉える、という所だ。
これは原作もので考えると分かりやすい。
漫画「風魔の小次郎」とドラマ「風魔の小次郎」は、
一番大事にしているところが、実は異なると思う。
少なくともドラマ版は、
「主人公小次郎の成長物語」を一番大事で面白いと思っている。
(原作はなんだろうね。ハッタリと勢いで走り出して、
走りながら考えようと思ってるうちに明後日の方向に行き出して、
よくわからないまま打ち切りになっちゃった、が正確な所ではないかな)
それは、覚悟でもある。
この話のこれを、自分は一番大事で面白いと思う、
という覚悟だ。
CMの所にちょっと書いた。
責任だ。
俺はこのたったひとつに全部を賭ける、
という覚悟と責任こそが、
表現を決めるのである。
それが沢山あってひとつに決まらないCMの現場からは名作は生まれないし、
その原作の一点をどう抽出するかで迷ったり揉めている原作つき映画は詰まらないし、
何が自分の話のいいところか、分かってなくて覚悟もしてない、
あるいは別のところを一番だと勘違いしている作者の話は、
やっぱり詰まらないのである。
世間が、最も面白く大事だと思う、たったひとつ。
あなたが、最も面白く大事だと思う、たったひとつ。
それを常に一致させないと、面白いものは出来ない。
世間とずれていてもダメだし、面白くなくてもダメだ。
その一点を作り、そうだと確信し、それだと覚悟し、
全てをそこに向けて作っていくことが、
お話づくりというものだ。
それは、難しい。
(そのあとに思いついたナイスアイデアが、
それを凌駕するかどうか判断することも、
とても難しい)
プロットが、難しいわけじゃない。
2015年11月19日
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