主人公が○○なのは、
実は過去に△△があったからだった…。
よくあるパターンだ。
この因縁を一幕で描くか、二幕で描くかで、
過去の重みが変わってくる。
一幕で過去の因縁を描くなら、
それは初期設定に含まれる。
△△だった主人公が、事件に巻き込まれて、
これから何をする?
というのが焦点、二幕になる。
お楽しみポイントは、主人公の行動だ。
△△に関連する人々との絡みもあるに違いない。
二幕で過去の因縁を描くなら、
一幕での主人公は過去を匂わす男(女)として設定される。
その過去の謎解きが焦点のひとつになるだろう。
二幕前半で描くのなら、
感情移入の要素としての過去開示であり、
二幕後半で描くのなら、
謎の解明結果としてのネタバラシになる。
主人公の過去を描くのは、
後半に下がれば下がるほど、
焦点(一体過去に何があったんだ!?)にならねばならない。
焦点になるには、興味が湧かなければならない、
ということである。
ダメな例は、うんこ映画実写ガッチャマンに見ることができる。
主人公の過去に興味が湧かないまま、
無理矢理過去編を始められて、
感情移入に至るほどの話ではないのに、
深刻な話だけを振られて、
我々が感情をどうしていいか迷っているうちに、
それに関して現在の話が動き、
我々がついていく気力も湧かず、
勝手にやってろや、
となる。
つまり、滑りに滑っている。
何故こうなるのかは、明らかだ。
計画性なく脚本を書いているからだ。
冒頭から書いてきてネタ切れして、
書くことがなくなってしまい、
新たに過去編を作ることで、
ここからの話の設定をしてしまっているのである。
つまり過去編の前に一回話が途切れている。
糞ガッチャマンの脚本家は、素人同然の書き方である。
困ったから過去編に逃げたのである。
長期連載の漫画には、ちょくちょくあることだ。
それは、作りながら考えているからである。
最初に設定したことが尽きてしまったから、
これ以上語ることがなく、
また設定をはじめないとキツイ。
逆にいうと、設定をリセット(リフレッシュ)している、ともいえる。
(で、大体後付けが増えていく)
長期連載ではしょうがない。
三ヶ月とか半年やってきた○○編が終わり、
次の□□編を始めるに当たっての設定の追加だろう。
長期連載では、つまり○○編というように、
話に切れ目がある。
ところが、映画とは一気見することが前提の物語である。
○○編などのように話が途切れているのはありえない。
(ウェスアンダーソンの映画は、よく途切れがあって、
あんまり面白くない。
個人的には、タランティーノの章立てスタイルもぶつぎれで嫌いだ)
困って過去編を挿入してないか。
それは最初から計画的に存在したのか。
したとしたら、
その過去を描くタイミングに、どういう計画性があるのだろうか?
その過去を暴く理由は?
なぜその過去が我々は気になるのか?
衝撃の過去があってもなくても感情移入できるのなら、
なくても話は成立するのでは?
衝撃の過去ありきは、特別感のあるメアリースーではないか?
ドラマは過去にはない。
ドラマを葛藤と誤訳するから、
過去の自分と現在の自分の葛藤(悩み)をメインにしてしまう。
ドラマとは、
現在起こっている事件を解決する過程において、
誰かと誰かが利害関係や個人的事情で、ぶつかり合い、ケンカし、バトルすること。
ドラマは過去にはない。
現在のそれがドラマである。
たとえば東北で津波を受けた過去のある人が主人公だとしても、
津波が凄いのではない。
今、彼(彼女)が何をするかが、凄くなければならない。
津波の過去は、その現在の行動や決断に、
説得力を加える程度の付加材料だ。
一方、過去に囚われた男を描き、これ以上未来がない、
という描きかたをすることも可能だ。
何度かあげているが、「サンセット大通り」という傑作において、
二幕後半の過去のネタバラシは戦慄が走る。
これ以上未来がないという絶望においてだ。
つまり、
過去に軸足を置くと、未来(これからのドラマ)の拒否なのである。
さて。
あなたの主人公はどんな過去を背負う?
衝撃的でも平凡でもどちらでもいい。
これから起こるドラマ、行動、台詞が、
衝撃的であり、感情移入に値するべきである。
2015年11月20日
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