2015年11月22日

ストーリーの骨格をどこで決めるか

作者自身が分からなくなることが、よくある。
ストーリーの骨格を、どの要素で考えるべきかをだ。

そういうときは、「公式行事」で捉えるといい。


登場人物皆が知っていることを前提に話を進めるような、
公のストーリー展開、のように捉えるといい。

これに対して秘密を持ったり、
誰にも知られないように隠密に行動したり、
プライベートの何かをしたりは、
別だてのサブプロットと捉えるといい。


たとえばドラマ風魔の長いストーリーを整理して、
何が骨格かを炙り出すとしよう。
○話で整理するのがいいだろうか。
否、それは骨格を抽出していない。
風魔と夜叉の星取表(残りあと○忍)が時計がわりになっているから、
これを骨格とするべきだ。

ということで、
死んだ人、殺した人、決まり手を表にしてみると、
ドラマ風魔の骨格が見えてくる。

壬生: 小次郎、風魔烈風(重症)
小次郎: 武蔵、覇王剣(重症)
不知火: 竜魔、死鏡剣
項羽: 紫炎、紫砲炎
紫炎: 項羽、影羽
琳彪: 白虎、後ろ回し蹴り
白虎: 小龍、血羽への赤羽
雷電: 霧風、崖落ち
闇鬼: 霧風、飛んだと見せかけて後ろから心臓刺す
黒獅子: 壬生、黄金剣
妖水: 麗羅、火のヨーヨー戻ってきて土下座炎
陽炎: 霧風、霧幻陣(とみせかけて生き延び)
兜丸: 武蔵、覇王剣
麗羅: 武蔵、覇王剣
陽炎: 壬生、霧氷剣
壬生: 小次郎、風林火山
武蔵: 小次郎、風林火山(サイキックを斬った)

ここに、ストーリー上の骨格をさらに足してみよう。

絵里奈と知り合う
八将軍召集
風魔たちやって来る
黄金剣登場
風林火山登場
絵里奈死ぬ

また、プライベートの物語の骨格を足してもいい。

姫子に告白
蘭子フラレる

などだ。


ストーリーの骨格を考える、ということは、
これらの要素を、
「ひと続きに並べる」ことを意味する。

どうシャッフルするか(順番の入れ換え。
あるいは麗羅の死→風林火山の完成という入れ換えられない順番のチェック)、
どれかを捨てる(たとえば蘭子フラレるを削る。いやいやいや残すべきでしょ)、
どれかを足す(影三兄弟とか)、
などなどを試して、
全体のストーリーをつくって行くのである。

絵里奈を境に小次郎と武蔵が出会うべきだと思っていたら、
最終回までそのチャンスがなかったのは、
悔やまれるポイントだ。

それがあれば武蔵と小次郎の因縁がもっと強くなったからだ。
かといってどこを削ればそこが入るのか、
などと考えてしまう。
8か9話あたりかなあ。
そんなことやってる暇があったかどうかだけどね。
(麗羅デビュー戦を削ってでもやったほうが良かったかもだ)

で、実はこれらの公式行事を、
第○話というフォーマットに落とし込んだのが、
ドラマ風魔の特殊性だ。
「毎回○○部の裏で闘う」を、
なるべく守るというやり方である。
学園もののループ性、ドラマという毎週テレビの前に座るループ性が、
うまく噛み合ったと思う。
原作にこのループ性はない。
だから骨格がしっかりしていない物語に見える。
行き当たりばったりにだ。(車田漫画の長所だが、ドラマには向かない)

ドラマ再編集版の劇場版風魔の話が成立しなかったのも、
映画の骨格構造すなわち三幕構造と、
ドラマのループ構造が違うことに起因すると思う。

最初から映画的な構造にするのなら、
部活なしの、殺伐とした殺しあいのみに徹すれば良かった。
ところが、これはアニメ版を見たときの僕のシラケの再現になってしまう。
こいつらが殺しあう理由に感情移入できねえぞと。
それを避ける為にループ構造を作ったのだから、
その井桁を外すことは、
素材の丸裸に戻ることになる。行き当たりばったりだぞと。
こうして劇場版風魔は物語的に不成立だったのだ、
と今なら考えが至る。
やるなら、三幕構造の枠組みで作り直すしかなかったのだなあと。
(再編集だけでそれを成立させられるか?
恐らく難しいと思う)



ストーリーの骨格は、公式行事で俯瞰することが出来る。
それは例えば作中のカレンダーを作るでもよい。

あるいは、何がその話の公式行事かを考えることで、
そのストーリーの本質が、骨格にあるのか別にあるのか、
見えてくるだろう。

ドラマ風魔の場合、公式行事の殺しあいにはストーリー的魅力がなく、
(殺陣やCGの面白さはある。予算的にはとても安いレベルだが)
そうでないエピソード(つまりは殆どオリジナル部分)に、
魅力があったのだ。
原作原理主義から言えば、
膨らみがないからこそ削ぎ落とされた魅力があるのだ、
と風魔を語ることも出来るかも知れない。
しかし、削ぎ落とされたドラマに魅力はないと直感した僕は、
色々足したのである。
結果勝利したのは皆さんご存じの通りだ。

全体をどのようにするかは、
このように、骨格が何かを確定しない限り、
見えてこないのである。

プロットを書くときには、ここまで見えていることが理想だ。
posted by おおおかとしひこ at 03:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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