2015年11月22日

映画監督の勉強

という検索ワードがあったので、書いてみる。

ホンの勉強、
現場の勉強、
編集の勉強、
政治の勉強、
の四つがいりそうだ。


ホンの勉強:

このブログでやっていることだ。
脚本を書けるようになること。
脚本のかけない映画監督なんて価値がない。
自分で書けないと、へっぽこ脚本家のへっぽこ脚本を、
リライトすることすらできない。
自分で書けるということは、
ただ書けるだけでなく、
客観的にとても面白いホンが書ける、ということである。

オリジナルで書いて予算のない自主でつくって、
それが面白くて誰かの目に止まる、
というのがよくある監督デビューだ。

どんなに技量のある、政治力のある監督でも、
ホンの書けない人は、実力がないと思う。
どんなに絵や世界観がよくともだ。
(例:紀里谷和明、蜷川実花、堤幸彦、三池崇史。
また、元々ホンの力でのしあがり、演出技量が低い、
三谷幸喜は、最近のホンが詰まらないのでヤバいと思う)

どんな脚本が面白いかについては、
もう二年半ぐらいほとんど毎日書いている。
脚本論カテゴリ参照。



現場の勉強:

スタッフやキャストを動かせなくては監督ではない。
その為に助監督を何年かやることはとてもよい。
勿論下っ端だから雑用は全部やる。
どんな雑用が現場には発生するかを学ぶためである。
次第に、何を目的として働いているかが、
分かるようになる。
彼らの目的が鮮明に分かれば、
目的を共有して指示が出せる。
現場には100人からのスタッフがいて、
その後方の映画会社には何十人もいる。
どんな役職がどう絡んで、責任範囲はどこかを学ばないと、
深い話は何も出来ない。

時間が膨大にあるなら、仲間と自主映画を作ると、
本場のシミュレーションになる。
あくまでシミュレーションでしかないけど。

また、役者に芝居をつけられない監督はいない。
それはつまり、芝居に深い造詣がいる。
自分が芝居するのではなく、芝居をつくっていくことを、
どこかで学ぶべきだ。

また、現場にはさまざまな準備が必要だ。
撮影期間に入る前の準備期間に何を仕込んだかで、
現場は決まる。
それは現場を知っていないと難しいこと。
何本か助監督をやると、なんとなくイメージ出来るようになる。
優秀な先輩から、直接イメージ力を学ぶことだ。



編集の勉強:

映画の助監督は、撮影現場のバイト君ではない。
いずれ監督を目指すべき人たちである。
僕は、助監督が編集に来ないのはあり得ないと思う。
(実際には生活費を稼ぐために撮影現場の次は撮影現場らしい。
本末転倒である)
ずっと正座して、どのように編集するために、
どのように撮影したのかの反省会をすべきである。
また、撮影素材から、
全く撮影意図と違ったものを作り上げる、
編集のマジックを学ぶべきだ。
その為のスクリプトの書き方や素材の整理の仕方も、
学んでおいたほうがいい。

編集のこと、現場のこと、
両方が分かって、はじめてカット割が出来るというものだ。
ただ適当に割るのは誰でも出来る。
編集による魔法を学ばないと、カットは割れない。

これは自主映画で学ぶのは難しい。
自主流のカット割りを編み出すにはとてもいいが。
プロの編集マンのアシスタントになるほうが、
実践的な編集を学ぶのに早い。
(現場助監督からそのまま編集室で見取り稽古が一番)

編集とカット割りは、現場が想像できるなら、
様々な映画から学ぶことが可能だ。
あるカットのあとに別のカットを繋ぐと、
単独の時より別の意味を持つ
(モンタージュ。たとえば腹減ってる人のカットに、
旨そうなラーメンを繋げば、その人はラーメンが食いたいという意味になる。
単なるラーメンのカットでは、その人とラーメンの関係は存在しない。
編集とは、それぞれのカットの関係を繋げることである)
ということを、
実戦で学べるだろう。




古典的名作をよく見る勉強は、
ホンと編集とカット割りの勉強にとてもよい。
現場を想像できるなら、現場シミュレーションしてみるのも、
参考になる。スケジュールと金額見積りをしてみるのも、
現場を回すイメージが湧くだろう。
勿論、ただの観客としての感動が映画にはとても大事だ。
その素直な心こそが、映画を作る原動力になるからだ。
素直に深く気にいった作品を、
勉強のために、
分解して組み立て直して、分解して組み立て直して、
どうしたら、「意図的にその素直な深い感動が作れるか」を、
学んでいくのである。



政治の勉強:

これはね、デビューしないと分からないよ。
みんな思うのさ。
助監督のうちに、監督の政治的行動や発言
(プロデューサーとのやり取りや、ポジショニングや、
トーク)
についてもっと学んでおけば良かったと。
大体、監督目指すような奴は、
人付き合いが下手で、
すぐに肩を抱いてブラザーとか言えない人たちなんだからね。

ところが、プロデューサーってのは、
すぐに肩を抱いてブラザーっていう人種だ。
リア充とどう付き合い、ネットワークを築くかは、
教えてくれる人はあんまりいない。

会社勤めでもして、社会人の振る舞いに慣れるしかないかもね。




大体、この四本柱かな。
でも、全部を出来る人はいない。
誰もが、どこかの得意技があるものだ。

僕は編集タイプかなあ。
ホンがずば抜けているとは言えない。まあまあ、ではあるけど。

現場だけは得意で、すごい絵は撮るけど、
結局面白くない紀里谷や樋口や蜷川は、
そろそろ駆逐されるかね。

政治だけは得意なタイプが最近詰まらないホンをそこそこに仕上げて、
仕事が途切れない感じが多いね。
作品は詰まらないから、そのうち死んでいくだろう。

一番重宝されて、
最後まで生き残るのは、
ホンのタイプ。

上手い脚本家、上手いスタッフを集められれば更に無敵だ。


僕が学生の頃、業界に入った頃はネットもなくて、
本から学んだり、実地でやるしかなかった。
シナリオ教室も関西にはなかった。
その頃の俺に向かって、今書いてる感じだ。



映画とはなんだ?
絵か?役者か?キャラクターか?音楽か?ロケ地か?
構成か?場面か?テーマか?
否。
ストーリーだ。

ストーリーにこそ、全てがある。
posted by おおおかとしひこ at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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