前記事のつづき。
事前に十分な考察が足りないと、
二幕が薄っぺらいものになってしまう。
積極的行動を一回しただけで、すぐ成功してしまう
反対する相手も、一回大演説をぶつだけで、簡単に納得してしまう
作戦に大穴があっても、都合よく成功してしまう
などだ。
これはおそらく、成功体験が足りないか、
リアリティーの想像不足によって起こるのだ。
積極的行動を一回したら、必ず反発があるはずだ。
第二波、第三波と、何度も、各方面に働きかけないと、
物事は成功しないものである。
たかが一回の説得で落ちるなら、
どんな女でも一発で口説けるはずだ。
相手には都合や事情や異なる目的があることを、
全く無視すれば、演説→感動という馬鹿げた1ターンが書けてしまうだろう。
ハア?と言われたり、それは違うだろと言われて、
ようやくお話のはじまりというものだ。
作戦に大穴があるのは、とてもよくあるダメストーリーだ。
AよりBのほうが効率がいいだろ、と誰もが思ったり、
そんな低確率で行けるわけないのに、何故か100万分の1を引いて話が続いたり。
リアリティーと比較しておかしいものはやはりおかしい。
そんなリアリティーの隙間をついた成功物語が見たいのに、
穴だらけでは物語が成立しないというものだ。
下手くそな人は、
失敗続きから学んで成功に繋げる様が描けない。
何度も角度を変えて挑戦するうちに、成功への活路が見いだされる様が描けない。
失敗したことが逆に成功へのヒントになっていた様が描けない。
挑戦する者には、誰か味方が現れることも描けない。
つまり、失敗するのが怖くて描けないのだ。
創作上のことなのにだ。
失敗する場面を描くのもストーリーの一部である。
絶体絶命からの逆転もストーリーの一部である。
上手くいかないのなら、工夫を変えればいい。
成功しないのなら、成功する条件を探すか、成功するように前提を変えればいい。
一人じゃ無理なら、協力者を見つければいい。
自分のことなら分からないが、
他人のことなら指摘できるはずだ。
観客は他人のそれを見ているのだ。
あなたは、観客が指摘するそれくらいは既に想定ずみで、
それを越えるあっという展開を、
思いつかなくてはならない。
それはとても意外なのに、説明されればそれしかない、
と思えるような、難しいパズルの解を示されたようなものでなければならない。
逆風は、積極的行動には必ず吹く。
それをどういなしたり、
逆風に吹かれて沈没しかけたが復活したり、
どう逆転につぐ逆転をするかが、
ストーリーというものだ。
2015年11月25日
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