2015年11月26日

めくるめく世界へつれて行く

よくできたフィクションは、
我々の日常とは、全然違う、
楽しくて、ワンダーランドで、ぞくぞくする、
あるいは痛みを伴う、哀しい、
めくるめく世界へつれてってくれる。

あなたの作るおはなしも、そうでなければならない。
どうすればいいのだろうか。


二幕で描かれるスペシャルワールド、
すなわちめくるめく世界本体について、
よく練っておくのは当然だ。

実は、よくできたフィクションは、
それだけではない。
我々の日常との「架け橋」が上手なのだ。


我々の日常は、詰まらない。
冒険もないし成功の見込みもないし、
逃げ出したい。
そこから、めくるめく世界への接続が上手いのである。

まず我々にとっての嫌な日常をちゃんと描き、
そこからいつの間にか横滑りし、
あれよあれよという間に、
日常とはかけ離れた非日常世界へと展開している。
そこが上手い。

日常部分、架け橋部分、非日常部分と、
論理的には三つに分けられるかも知れないが、
それがいつの間にか、シームレスで繋がっているのが、
上手いストーリーテリングである。

素人目には、非日常部分をいきなり書けばいいのではないか、
とつい考えてしまう。

しかしドラえもんが出てきたのはどこだったかを思い出すといい。
机の引き出しという、
日常極まりない所だった。
ここが架け橋なのだ。

仮に未来からの扉が空間にびよーんと開き、
スーパー未来ロボットが出てきて、
秘密道具のめくるめく世界へ行っても、
私たちはたいしてドキドキしない。

いつの間にか、日常から非日常にいくから、
ドキドキするのだ。

日常と非日常を繋ぐ架け橋、この場合は机の引き出し、
にこそ、書き手の実力が出るのである。


まず日常世界を書こう。
その世界に確かに住んでいる、という感覚をつくろう。
(この隙に必要な伏線は密かに張るのは、当然だ)
その感覚を次第に横滑りさせて、
気づいたら渦中真っ只中にいるようにするのだ。


スタンドバイミー、ネバーエンディングストーリー、
ET、サンセット大通りあたりが、王道でわかりやすい。

スターファイター、かいじゅうたちのいるところもか。
(この二作品は架け橋だけ見れば傑作だが、作品自体は微妙。
スターファイター公開当時小学生だった俺は、
ゲーセンのゲームが宇宙パイロットのスカウトマシンに
なっているなんて!というアイデアに興奮したものだ。
この設定を流用し、
このゲームは火星戦争パイロットのスカウトマシンであり、
ステージ4をクリアした者は、これから無線接続の実戦に出てもらう。
今ディスプレイに出ているのはその実戦の変換映像であり、
遠い月面で実際に起こっていることだ、
という「電脳戦機バーチャロン(OMG)」に大学生時ドハマリしたのも、
これを知っていたからだろう)
あたりが、
日常、架け橋、非日常の繋ぎを研究するよい例になると思う。
(ちなみにロッキーは、日常パートが長すぎる)



この研究をするには、
冒頭から事件をおこし、グイグイいくタイプの映画
(マトリックスなど)よりも、
少しずつ日常から横滑りしていくタイプのものがよい。
ギルバートグレイプとか、ラッセハルストレム映画は、
その静かな感じが僕は好きである。
posted by おおおかとしひこ at 14:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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