よくできたフィクションは、
我々の日常とは、全然違う、
楽しくて、ワンダーランドで、ぞくぞくする、
あるいは痛みを伴う、哀しい、
めくるめく世界へつれてってくれる。
あなたの作るおはなしも、そうでなければならない。
どうすればいいのだろうか。
二幕で描かれるスペシャルワールド、
すなわちめくるめく世界本体について、
よく練っておくのは当然だ。
実は、よくできたフィクションは、
それだけではない。
我々の日常との「架け橋」が上手なのだ。
我々の日常は、詰まらない。
冒険もないし成功の見込みもないし、
逃げ出したい。
そこから、めくるめく世界への接続が上手いのである。
まず我々にとっての嫌な日常をちゃんと描き、
そこからいつの間にか横滑りし、
あれよあれよという間に、
日常とはかけ離れた非日常世界へと展開している。
そこが上手い。
日常部分、架け橋部分、非日常部分と、
論理的には三つに分けられるかも知れないが、
それがいつの間にか、シームレスで繋がっているのが、
上手いストーリーテリングである。
素人目には、非日常部分をいきなり書けばいいのではないか、
とつい考えてしまう。
しかしドラえもんが出てきたのはどこだったかを思い出すといい。
机の引き出しという、
日常極まりない所だった。
ここが架け橋なのだ。
仮に未来からの扉が空間にびよーんと開き、
スーパー未来ロボットが出てきて、
秘密道具のめくるめく世界へ行っても、
私たちはたいしてドキドキしない。
いつの間にか、日常から非日常にいくから、
ドキドキするのだ。
日常と非日常を繋ぐ架け橋、この場合は机の引き出し、
にこそ、書き手の実力が出るのである。
まず日常世界を書こう。
その世界に確かに住んでいる、という感覚をつくろう。
(この隙に必要な伏線は密かに張るのは、当然だ)
その感覚を次第に横滑りさせて、
気づいたら渦中真っ只中にいるようにするのだ。
スタンドバイミー、ネバーエンディングストーリー、
ET、サンセット大通りあたりが、王道でわかりやすい。
スターファイター、かいじゅうたちのいるところもか。
(この二作品は架け橋だけ見れば傑作だが、作品自体は微妙。
スターファイター公開当時小学生だった俺は、
ゲーセンのゲームが宇宙パイロットのスカウトマシンに
なっているなんて!というアイデアに興奮したものだ。
この設定を流用し、
このゲームは火星戦争パイロットのスカウトマシンであり、
ステージ4をクリアした者は、これから無線接続の実戦に出てもらう。
今ディスプレイに出ているのはその実戦の変換映像であり、
遠い月面で実際に起こっていることだ、
という「電脳戦機バーチャロン(OMG)」に大学生時ドハマリしたのも、
これを知っていたからだろう)
あたりが、
日常、架け橋、非日常の繋ぎを研究するよい例になると思う。
(ちなみにロッキーは、日常パートが長すぎる)
この研究をするには、
冒頭から事件をおこし、グイグイいくタイプの映画
(マトリックスなど)よりも、
少しずつ日常から横滑りしていくタイプのものがよい。
ギルバートグレイプとか、ラッセハルストレム映画は、
その静かな感じが僕は好きである。
2015年11月26日
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