シナリオを書き始めたのだが、すぐに挫折する、
というポピュラーな現象は、
三日坊主のメカニズムと同じでは、という説。
何かを始めるとしよう。
いきなりは、始めない。
始めるときは、前から色々考えていて、
よし始めようと弾みをつけてから始めるものだ。
何故なら苦労や面倒もあるからだ。
そのマイナス面を考慮にいれつつも、
何かを始めたいから、
エイヤで始めるのである。
初日はドキドキしながら過ごす。
喜びも意外な楽しみも発見する。
そうかこういうことだったのか、
もっと早く始めれば良かったなと。
勿論苦労や面倒もある。
初日は苦ではない。喜びの方がまさる。
二日目は、慣れてくる。
喜びや発見はより深くなり、
昨日の喜びより少し小さいが、
そのぶん深くなる。
これは続ければこの先とんでもないところにたどり着くことが、
なんとなく予感される。
しかし、苦労や面倒も分かってくる。
喜びと苦労で比べると、
初日が9:1なら、二日目は7:3か6:4といったところだろう。
これが三日目になると、4:6に逆転する気がする。
喜びは初日ほどの新鮮さはない。
苦労や面倒は一定だから、
相対的に、面倒が目立つ。
ダイエット、ジム通い、習い事、日記。
すべての三日坊主は、大体こんな感じではないか。
つまり三日坊主とは、人間の「慣れ」という適応力が、
なせるのではないだろうか。
新鮮さは慣れる。
慣れたら新鮮な喜びが消え、
苦労と、この苦労を続けた先にしか見えない、
見えているか見えていないか分からない、
大いなる喜び(達成したあとに訪れる何か)が、
ぼんやりしか見えていない。
シナリオ書きが挫折するのは、
これに似ている気がする。
初日。張り切って書き出す。
二日目。昨日の勢いほどではないが、まだ楽しい。
三日目。筆が進まなくなり、苦痛の方が増してくる。
前二日の分量ほど進まない。
楽しくなくなり、日を改めようと考え、
一端離れる。
そして、二度とその続きは書かれない。
挫折である。
もしこんなところなら、
シナリオ書き特有の問題ではなく、
三日坊主という人間特有のメカニズムの問題の可能性が高い。
あなたに創作を続ける力がないのは、
才能のせいではなく、
三日坊主のせいかも知れない。
それでも書き続けるためにはどうすればいいか?
慣れないこと、かも知れない。
書く場所を変えるのは、僕はよくやる。
カフェを変える、街を変える、ペンを変える、外で書くなど。
あるいは、作品の内容に慣れないこと、かも知れない。
ターニングポイント、新しい場面、新しい人物が必要かも。
同じ焦点では飽きる。焦点を変えるといい。
(それで風呂敷を広げすぎて収集がつかないミスを犯すのも、
これまたよくあるが)
本当に挫折せず書き続ける為には、
三日坊主を乗り越えて、習慣化するしかない。
教室に通うことで無理矢理書く人もいる。
土日の何時何時を決めて書く人もいる。
僕は、日々の占い(細木和子の四柱推命)の、よい日だけ書いて悪い日は書かないシステムで、
長期的に習慣化している。
よい日は日々の半分しかないから、
馬車馬のようにならなくていいし、
よい日はマックス三日しか続かないから、
三日坊主を上手く避けられるのでオススメだ。
習い事が続くのは、週三回?週二回?週一回?
あなたの慣れ力に合わせて、
長期的なスケジュールを組もう。
一本出来るのに数ヶ月は、当たり前の世界である。
(速い人は数週間らしいけど、
それこそ才能なので、一本一ヶ月から三ヶ月ぐらいは、
見ておくといい)
何かをそもそもそれだけ続けられない人は、
執筆も続けられなくて当然だ。
あなたの才能があるかどうかという判定以前に、
そもそも完走するかどうかという関門のほうが、
実は大変だ。
人間の集中力は、三日程度しか持たないのではないか?
どんな好きな人でも、三日同棲したら、飽きるのではないか?
慣れは三日程度で行われ、
三日目後半には、別の所に集中力が使えるように、
そもそも人間の体は作られているのではないか?
というのが、僕の体感的経験則だ。
(というのも、僕はまた新作を書き始めたのだ。
三日目で筆力が急に落ち、これは何かと、色々と考えていた。
今日で4日目で、ペースを落として長期的にやっていこうと思っている)
2015年11月26日
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