2015年11月28日

調べてから書くか、調べながら書くか

調べものは大事だ。
知っていることなら詳しく書けても、
知らないことは詳しく書けない。

そして人は知らないことを知りたい。

人々が知らないことを知るように書くのは、
ふたつしかない。
あなたが詳しいことを書くか、
あなたが知らないことを詳しく調べて、詳しくなるかである。


まず最初に、その世界にどっぷり浸かる調べものをするとよい。

ネットやWikiで広範囲に検索して、
概ねを把握し、
詳しい人は誰かを調べ、
あとはその人から辿っていく。
本が出ていればそちらも頼る。
深さにおいて本に勝るものはない。
(深すぎて帰ってこれないこともあるので、
本の出番は時間があるときに限る)

で、大体把握したら、
ようやくプロットや話作りだ。
一般にはこの順番でいい。


で、実際の執筆中に、
急遽アレも調べなきゃ、ということも発生する。
ざっくり書いといて、執筆を先に進めるか、
それが分からないと先を書けないかで、
今調べこむべきかを選択するといい。

ネットで調べられるのは固有名詞や簡単な原理レベルで、
ちゃんと調べるには本で時間をかけるといい。
(勿論、同じことを扱う複数の本で、
色々な角度からそれを知っていることがベストだ。
でも歴史とか調べ始めると、複数の視点だらけになって、
何ベースにすればいいか分からなくなるけど)


昔見たNHKのドラマの白本(製本前の準備稿)で、
専門用語の固有名詞系が全部「○○」で書かれていて苦笑したことがある。
たとえば「○○(科学原理みたいなもの)」
とか書いてあった。
全然ものごとを調べずに書いてるのだなあと。

それらしいものが来さえすれば、
それが何であっても構わないのなら、
それは置換可能のどうでもいい台詞や文脈、
ということになってしまうではないか。

それが序盤の世界設定の雰囲気用語ならいざ知らず、
中盤でもそうなのに、あきれたものである。

案の定、ドラマ自体は
「門外漢が考えた、ありがちな話」になっていて、
リアリティーから浮いていた。

部品メーカーの話だったのだが、
部活に置き換えても成立するような、
大雑把すぎる話で、
細やかな感情移入に至らなかった失敗作だった。


書きたい題材は、
その世界のことをきちんと調べよう。
自分が一番詳しい権威になるべきだ。
(歴史小説家とかはその見本だよね)
ちなみに天狗のことなら、俺結構詳しいよ。

書きながら適当に○○でやってると、
リアルな深さのない、薄っぺらいものになりがちだ。

(ということで書き始めた話は、調べものによって中断している。
再び来る調子のいい日に備えて、調子の悪い日にそれをやるのが、
僕の執筆習慣だけど)
posted by おおおかとしひこ at 11:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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