調べものは大事だ。
知っていることなら詳しく書けても、
知らないことは詳しく書けない。
そして人は知らないことを知りたい。
人々が知らないことを知るように書くのは、
ふたつしかない。
あなたが詳しいことを書くか、
あなたが知らないことを詳しく調べて、詳しくなるかである。
まず最初に、その世界にどっぷり浸かる調べものをするとよい。
ネットやWikiで広範囲に検索して、
概ねを把握し、
詳しい人は誰かを調べ、
あとはその人から辿っていく。
本が出ていればそちらも頼る。
深さにおいて本に勝るものはない。
(深すぎて帰ってこれないこともあるので、
本の出番は時間があるときに限る)
で、大体把握したら、
ようやくプロットや話作りだ。
一般にはこの順番でいい。
で、実際の執筆中に、
急遽アレも調べなきゃ、ということも発生する。
ざっくり書いといて、執筆を先に進めるか、
それが分からないと先を書けないかで、
今調べこむべきかを選択するといい。
ネットで調べられるのは固有名詞や簡単な原理レベルで、
ちゃんと調べるには本で時間をかけるといい。
(勿論、同じことを扱う複数の本で、
色々な角度からそれを知っていることがベストだ。
でも歴史とか調べ始めると、複数の視点だらけになって、
何ベースにすればいいか分からなくなるけど)
昔見たNHKのドラマの白本(製本前の準備稿)で、
専門用語の固有名詞系が全部「○○」で書かれていて苦笑したことがある。
たとえば「○○(科学原理みたいなもの)」
とか書いてあった。
全然ものごとを調べずに書いてるのだなあと。
それらしいものが来さえすれば、
それが何であっても構わないのなら、
それは置換可能のどうでもいい台詞や文脈、
ということになってしまうではないか。
それが序盤の世界設定の雰囲気用語ならいざ知らず、
中盤でもそうなのに、あきれたものである。
案の定、ドラマ自体は
「門外漢が考えた、ありがちな話」になっていて、
リアリティーから浮いていた。
部品メーカーの話だったのだが、
部活に置き換えても成立するような、
大雑把すぎる話で、
細やかな感情移入に至らなかった失敗作だった。
書きたい題材は、
その世界のことをきちんと調べよう。
自分が一番詳しい権威になるべきだ。
(歴史小説家とかはその見本だよね)
ちなみに天狗のことなら、俺結構詳しいよ。
書きながら適当に○○でやってると、
リアルな深さのない、薄っぺらいものになりがちだ。
(ということで書き始めた話は、調べものによって中断している。
再び来る調子のいい日に備えて、調子の悪い日にそれをやるのが、
僕の執筆習慣だけど)
2015年11月28日
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