2015年11月28日

全ての物語は、得る話か失う話である

また極論してみる。

全ての物語は、ふたつにわかれる。
何かを得る話か、
何かを失う話だ。

前者をハッピーエンドといい、
後者を非ハッピーエンドという。
(バッドエンドは、非ハッピーエンドの中でも最悪のもののひとつで、
全てがバッドエンドではないため、非ハッピーエンドと大くくりにする)


何かを得る話は、
主人公が何かをした結果何かを得る。
それは強い因果関係で結ばれる場合もあるし、
ひょんなことから得る話もある。
最初からそれを得たいと思って得る話もあるし、
違うものを得る話もある。

何かを得たらハッピーエンドだ。
喜び、達成感や充実感、自己肯定感やポジティブさ、
学びや気づきが残る。
ハリウッド映画の殆どは、この方法論だ。


何かを失う話は、
主人公が何かをした結果、あるいは何もしない結果、
何かを失う。
強い因果関係もあるし、理不尽な場合もある。
何かを得ようとして結果失う話もあるし、
得ようとすることと関係なく失う話もある。

何かを失うと、嘆きや哀しみや、
世界とはこのようなものだという諦め(無常観)が支配する。
あるいは失う前の輝きは美しかったというノスタルジーか。

実は日本の話は、後者ではないかと思う。
伝統的物語や演歌の世界だ。
ヨーロッパにも、こういう文化があると思う。
だから日本やヨーロッパの映画は、
基本暗く、静謐で、後ろ向きではないかと思う。


恋の歌にも二種類ある。
恋って素敵!世界は幸せ!という恋が成就しているときの歌と、
失恋か恋の辛さの歌である。
どちらが多いか統計を取ってないので分からないが、
演歌や万葉集は、後者が圧倒的に多い気がする。


どちらが真実でもないと思う。
世界は素敵でもあるし、
世界は悲しくもあると思う。
どちらもあり得ることが、世界を健康に保つと思う。


ハリウッド映画ばかり見ていると、
時々暗い話が見たくなる。
なんだか幼稚なバカばっかりな気がして、
大人の思考の入ったヨーロッパの作品などを見たくなる。
アメリカの映画館は、当然だけど100%ハリウッド映画で、
他の国の映画は、アートシアターなる、マイナーな施設へ行かないと見れない。
それはそれでアメリカ人の思考は大丈夫か、とも思うけど。

ポジティブなハイカロリーも、
ネガティブな沈鬱も、
人間にはどちらもある。

また、
何かを得た代わりに何かを失ったり、
何かを失ってはじめて何かを得る話もある。
(代償とか、交換条件とか。それが因果があるにせよ偶然にせよ)

ビターエンドは、何かを得ることと失うことが、
丁度半々ぐらいのものを言うのだと思う。



さて。
どちらが優れるかは議論しない。

ただ、こんなハッピーエンドがあるよ!
というものはシェアしやすく、広まりやすい。
何かを失う話は、受けとる人を選ぶから、
勧める人も慎重に、これいいよと言わざるを得ない。

このスピードや気軽さの差があって、
世の中はハッピーエンドの話が溢れ、残り、普及する。

バカみたいなハッピーエンドにしなくていい。
王道ベタでやらなければならないわけではない。
何かを失ったとしても、
それ以上の何かを得る話なら、
それはハッピーエンドである。

ただ何かを得る話よりも、
僕はそちらのほうが、文学ではないかと、思っている。



あなたは、
何かを得る話を書くのか?
何かを失う話を書くのか?
そしてそれは何か?
そのモチーフが示す意味が、多分テーマに直接関係すると思う。


恐らくだけど、
我々は、この世界が因果関係に満ちていると信じたい。
神様の存在もそのひとつではないかと思う。

だから、理不尽な落ちは詰まらない。
因果関係ではないからだ。
「因果関係を読み取ること」が、読解なのではないかなあ。

因果関係の結果、あるものを得たり失ったりする。
その因果関係が、テーマになるのではないだろうか。

テーマが感じられない作品は、
その因果関係が読み取れない、あるいは、因果関係が弱くて、
全体がぼんやりしているようなお話ではないだろうか?
なんで?と疑問符がつくのは、つまり因果関係が弱いのである。



何かを得る話も、
何かを失う話も、
我々は等しく楽しみ、味わうものである。
それはそれにまつわる感情を、理解しているからだ。
(歳を取ると、得るより失う方が多いかも知れないね)
そしてその感情の奥にある、
因果関係を理解しているからである。



あなたの主人公は、
何かを得るのか?
何かを失うのか?
そこから、自分の物語の本質を分析できるかも知れない。
posted by おおおかとしひこ at 14:34| Comment(1) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大岡俊彦様

いつも更新ありがとうございます。

昨日のハッピーエンドに関する記事を読んだ時、落語「鰻の幇間」は何エンドなのだろう?という疑問が浮かび、質問しようかと思ったのですが、先に答えを書かれてしまいましたね(笑)
落語などのコメディでは、「何かを失うことによる滑稽さ」がよく描かれるような気がします。
「鰻の幇間」は詐欺にあってお金を取られる話なので、「失う話」ですね。

偶然にも疑問を解消していただきましたので、コメントさせていただきました。
これからも頑張ってください。
それでは、失礼いたします。

ケルベロス
Posted by ケルベロス at 2015年11月28日 21:35
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