すごいことをすると、みんなが注目する。
通り魔もそうだし、全裸の人もそうだろう。
踊ってみた人や、ユーチューバーもそうだろう。
映画は見せ物のひとつだ。
まずすごいことをしないと、人は見てくれない。
凄いスタント、凄いロケ、凄いCG。
ロボットとか、アクションとか、スターの共演とか。
ほんとにあったすごいことの映画化とか。
とにかく、すごい!見たい!と思わせること、
をあなたは企画しなければならない。
ロッキーならボクシングだし、
カリオストロの城ならアクションと王女とのロマンスだ。
風魔ならチャンバラとCGか。
これで人を集めてから、それで終わってはダメだ。
人を集めたあとは、面白い話をしなければならない。
映画は二段構えだ。
それをガワと中身などと言ってきた。
最近、すごい!と思うものが、
段々映画から減ってきた気がする。
気のせいか、歳のせいかとも思ったけど、
そうでもないような気がする。
それは映画だけでなく、世界全体の傾向のような気がするからだ。
ネットの発達が大きいかも知れない。
昔は知っていることが武器だった。
本か口伝えか体験しか、知ることは出来なかった。
図書館や本屋や古本屋や国会図書館の地位や、
雑誌的網羅情報や、世界の果ての取材や、特殊な人の、
地位が今より高かったと思う。
今はなんでも検索可能だ。
検索すればとりあえず知ることは出来る。
誰かがまとめたものを知ることは出来る。
だから、すごいことはすぐ伝わる。
それは、消費され尽くすということだ。
ネットがない時代なら、伝わるまで時間がかかるまでは、
先に盗んできた奴が強かった。
外国の特別なすごい何かを輸入し、
先に高く売り、バブル景気に乗せれば時代を作れた。
80年代のフレンチ、イタ飯、スキー、流行歌、クリスマスイブなどは、
そうやって作られた。
しかしそれは○○のマルパクだとばれなかったから有り難がられたのだ。
今はすごい!を他所から輸入出来なくなった。
既に消費されているからである。
新しくすごいものを作るには、
とても時間がかかる。
消費は一瞬だ。
だから、消費されない、すごいものを作るしかない。
すごいことをしよう。
それは何?
僕は、天狗や、心の闇が擬人化(妖怪化)する、
という「すごいこと」をベースに、てんぐ探偵を書いた。
ドローンがすごそうだったので、その話も企画した。
今はまた別のすごいことをベースに、新作を考えている。
ただお話を作っても地味なだけだ。
誰も振り向いてくれない。
人はガワから入ってくる。
すごいことをしよう。
誰も知らない既にあるすごいことを持ってきてもいいし、
自分ですごいことをしてもいい。
そのすごいことを見つけるのは、嗅覚かなあ。
才能というより、才覚みたいな感じ。
そこから面白い、価値ある話を書けるかは、能力だ。
2015年12月02日
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