2015年12月02日

すごいことをする

すごいことをすると、みんなが注目する。

通り魔もそうだし、全裸の人もそうだろう。
踊ってみた人や、ユーチューバーもそうだろう。

映画は見せ物のひとつだ。
まずすごいことをしないと、人は見てくれない。


凄いスタント、凄いロケ、凄いCG。
ロボットとか、アクションとか、スターの共演とか。
ほんとにあったすごいことの映画化とか。

とにかく、すごい!見たい!と思わせること、
をあなたは企画しなければならない。

ロッキーならボクシングだし、
カリオストロの城ならアクションと王女とのロマンスだ。
風魔ならチャンバラとCGか。

これで人を集めてから、それで終わってはダメだ。
人を集めたあとは、面白い話をしなければならない。
映画は二段構えだ。
それをガワと中身などと言ってきた。


最近、すごい!と思うものが、
段々映画から減ってきた気がする。
気のせいか、歳のせいかとも思ったけど、
そうでもないような気がする。
それは映画だけでなく、世界全体の傾向のような気がするからだ。

ネットの発達が大きいかも知れない。
昔は知っていることが武器だった。
本か口伝えか体験しか、知ることは出来なかった。
図書館や本屋や古本屋や国会図書館の地位や、
雑誌的網羅情報や、世界の果ての取材や、特殊な人の、
地位が今より高かったと思う。

今はなんでも検索可能だ。
検索すればとりあえず知ることは出来る。
誰かがまとめたものを知ることは出来る。
だから、すごいことはすぐ伝わる。

それは、消費され尽くすということだ。


ネットがない時代なら、伝わるまで時間がかかるまでは、
先に盗んできた奴が強かった。
外国の特別なすごい何かを輸入し、
先に高く売り、バブル景気に乗せれば時代を作れた。
80年代のフレンチ、イタ飯、スキー、流行歌、クリスマスイブなどは、
そうやって作られた。
しかしそれは○○のマルパクだとばれなかったから有り難がられたのだ。

今はすごい!を他所から輸入出来なくなった。
既に消費されているからである。


新しくすごいものを作るには、
とても時間がかかる。
消費は一瞬だ。
だから、消費されない、すごいものを作るしかない。

すごいことをしよう。
それは何?

僕は、天狗や、心の闇が擬人化(妖怪化)する、
という「すごいこと」をベースに、てんぐ探偵を書いた。
ドローンがすごそうだったので、その話も企画した。
今はまた別のすごいことをベースに、新作を考えている。


ただお話を作っても地味なだけだ。
誰も振り向いてくれない。
人はガワから入ってくる。
すごいことをしよう。
誰も知らない既にあるすごいことを持ってきてもいいし、
自分ですごいことをしてもいい。

そのすごいことを見つけるのは、嗅覚かなあ。
才能というより、才覚みたいな感じ。
そこから面白い、価値ある話を書けるかは、能力だ。
posted by おおおかとしひこ at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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