2015年12月04日

人間同士の会話は、大半は調整にある(仮説)

会話台詞が僕は自分で上手いと思ってるけど、
最近その型を崩そうとして、
リアルな会話をずっと観察している。

それで発見したこと。
ほとんどの人間同士の会話は、
調整のためにあるのでは?
という仮説。


たとえば。

今日寒いね。昨日の雨も冷たかったし。

ご飯食べた? まだ。じゃいこうよ。どこがいい? 何食べる?

これすき。私これもいい。それもいいね。どっちがいい? でもこれもいい。

そんな事考えてたとは。じゃあどんなだと。こうだと思ってた。違うよ。

今年平成何年だっけ。要らないよね平成。まあ、一応。

テスト勉強した? 全然やってない。私朝までやってて全然寝てない。

え、自分、どこ住み? あそこいいよね。どこ出身?

アレ見た? どう? 面白いかなあアレ。結構受けてるみたい。

おいしいね。おいしいね。


ほとんどの会話は、
現状や過去の報告、現状や過去の認識を、
他人と共有し、
自分がずれていれば調整し、
他人がずれていれば調整してあげる、
そういうものが大半である、というのが仮説だ。

その為に自分の考えや感覚を披露し、
他人のそれを聞くのではないか。
自分がずれていないかを聞き、
他人や世間とのずれを自己調整していく。
朱に交われば赤くなる。

つまり我々は、環境や我々の集団が、
「どうであるかという認識」を、会話で行うのである。

それは日本人が空気を読む民族だからかも知れないし、
狩りをして来た人類共通のことかも知れない。
人類学に聞いてみたいところだ。

カップルの付き合いはじめは、
相手を知りたい会話だらけだ。
これまで違う道を生きてきたことの確認と、
これから一体化するための調整だらけだ。
次のデート日の確認すらそうだ。

お互い大体分かってきたら、今度は、
「一体化した我々」でない部分、つまり欠点が目立つ。
ケンカだ。
ガリガリ君を舐める奴は許せない、程度で大喧嘩である。

それも乗り越えたら、無言で通じあう仲になる。
大抵は乗り越えられず決裂するけど。



今日は暑いとか寒いとか、
私は○○が好きとか、
予定の調整とか、
そういうのは、映画には必要ない。

映画の会話のメインは、
自分の考えを明らかにし、相手を説得し、
自分の考えを通すこと(行動)と、
何かに対するリアクションだ。

そしてそれが、メインプロットや焦点に対して、
無駄なく全てが機能することである。

ハリウッド映画で最も使われる台詞は、
「Are you OK?」だそうだ。
つまりこのあとのリアクションを引き出し、
状況について確定し、
次なる行動を促す、呼び水としての台詞である。


リアルな会話と、映画内の会話は全然違う。

それは、双方を記録して、並べてみると分かる。
結構な手間だけど、やってみるといいよ。
それの何が違うかが、上に述べたようなことだと、
何となく分かってきた。


僕は長年脚本を書いてきたので、
あんまり調整の会話はしない傾向にある。
女の、○○が好きとか○○も好きとか、ほんとどうでもいい。
メニューを中々決めない女も嫌い。
決断はワンワード(出来れば名台詞)だろ常考。

ということで、会話に関しては、
現実は調整、脚本は行動や決断、
がいいのでは。
posted by おおおかとしひこ at 12:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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