会話台詞が僕は自分で上手いと思ってるけど、
最近その型を崩そうとして、
リアルな会話をずっと観察している。
それで発見したこと。
ほとんどの人間同士の会話は、
調整のためにあるのでは?
という仮説。
たとえば。
今日寒いね。昨日の雨も冷たかったし。
ご飯食べた? まだ。じゃいこうよ。どこがいい? 何食べる?
これすき。私これもいい。それもいいね。どっちがいい? でもこれもいい。
そんな事考えてたとは。じゃあどんなだと。こうだと思ってた。違うよ。
今年平成何年だっけ。要らないよね平成。まあ、一応。
テスト勉強した? 全然やってない。私朝までやってて全然寝てない。
え、自分、どこ住み? あそこいいよね。どこ出身?
アレ見た? どう? 面白いかなあアレ。結構受けてるみたい。
おいしいね。おいしいね。
ほとんどの会話は、
現状や過去の報告、現状や過去の認識を、
他人と共有し、
自分がずれていれば調整し、
他人がずれていれば調整してあげる、
そういうものが大半である、というのが仮説だ。
その為に自分の考えや感覚を披露し、
他人のそれを聞くのではないか。
自分がずれていないかを聞き、
他人や世間とのずれを自己調整していく。
朱に交われば赤くなる。
つまり我々は、環境や我々の集団が、
「どうであるかという認識」を、会話で行うのである。
それは日本人が空気を読む民族だからかも知れないし、
狩りをして来た人類共通のことかも知れない。
人類学に聞いてみたいところだ。
カップルの付き合いはじめは、
相手を知りたい会話だらけだ。
これまで違う道を生きてきたことの確認と、
これから一体化するための調整だらけだ。
次のデート日の確認すらそうだ。
お互い大体分かってきたら、今度は、
「一体化した我々」でない部分、つまり欠点が目立つ。
ケンカだ。
ガリガリ君を舐める奴は許せない、程度で大喧嘩である。
それも乗り越えたら、無言で通じあう仲になる。
大抵は乗り越えられず決裂するけど。
今日は暑いとか寒いとか、
私は○○が好きとか、
予定の調整とか、
そういうのは、映画には必要ない。
映画の会話のメインは、
自分の考えを明らかにし、相手を説得し、
自分の考えを通すこと(行動)と、
何かに対するリアクションだ。
そしてそれが、メインプロットや焦点に対して、
無駄なく全てが機能することである。
ハリウッド映画で最も使われる台詞は、
「Are you OK?」だそうだ。
つまりこのあとのリアクションを引き出し、
状況について確定し、
次なる行動を促す、呼び水としての台詞である。
リアルな会話と、映画内の会話は全然違う。
それは、双方を記録して、並べてみると分かる。
結構な手間だけど、やってみるといいよ。
それの何が違うかが、上に述べたようなことだと、
何となく分かってきた。
僕は長年脚本を書いてきたので、
あんまり調整の会話はしない傾向にある。
女の、○○が好きとか○○も好きとか、ほんとどうでもいい。
メニューを中々決めない女も嫌い。
決断はワンワード(出来れば名台詞)だろ常考。
ということで、会話に関しては、
現実は調整、脚本は行動や決断、
がいいのでは。
2015年12月04日
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