2015年12月04日

一本道にならないために

物語とは、問題の解決だ。
だがそればかり考えていると、
「主人公がただ問題を解決する」だけのものになってしまう。
一本道で一本調子なものになりがちなのだ。

それをさけるためには。
もっと豊かで馥郁たるものになるには。

それがサブプロットではないか。



15秒CMとか、1分ショートドラマ程度なら、一本道でもかまわない。
ストレートにいったほうが心地よく、
下手にサブプロットがあると、寄り道をしてるように、複雑に見えてしまうからである。

ところが、それをこえる尺なら、サブプロットは必須といってもよいだろう。


主人公の目的(問題の解決)とその結末(成功または失敗)が、
メインプロットだ。

別の登場人物の目的とその結末をサブプロットという。


分かりやすいのは敵のサブプロット。
目的:世界征服→結末:主人公に滅ぼされる(失敗)

と、主人公の真逆になる。
主人公が目的を達成することと表裏一体になっている。

すべての敵の物語は、主人公の真裏のサブプロットになっている。

ドラマ風魔の小次郎がわかりやすいか。
風魔側のドラマは勝利に向かってすすみ、成功する。
夜叉側のドラマは勝利に向かってすすみ、失敗する。
大きく言うとこんな話を、複雑にサブプロットを膨らませてあるのである。

風魔サイドは、小次郎を中心に、姫子、竜魔、蘭子、麗羅、霧風、
絵里奈などなどの人物が絡み合う。
夜叉サイドは、壬生を中心に、武蔵、陽炎、八将軍たちが絡み合う。
(中心を武蔵にすべきだったかも知れないと今は反省しているが、
壬生のドラマはほんとうに面白かったよね…)


あるいは、恋愛ものも分かりやすい。
主人公の男が女の子をゲットする話ならば、
主人公は、
目的:恋の成功→結末:成功
で、
ヒロインは、
目的:(自由に決めてよい)→結末:その成功と恋の成功が同時
という形になっているはずだ。

あるいは両思いものなら、
どちらの目的も「相手とつきあう」で、結末が「目的を果たす」である。


これは主人公と対等な登場人物がいる場合だ。
そうではない脇役にサブプロットをつくることもできる。

たとえば主人公が刑事で、サブ人物がその同僚のとき。
目的が犯人逮捕だったとき、
同僚の抱えている事件と関連があることが分かれば、
その犯人逮捕は、主人公と同僚の、ふたつのサブプロットの目的になりうる。

これは、味方と協力のサブプロットになるだろう。

メインプロットとサブプロットの関係性は、
人間関係の種類だけあると思うので、研究に値すると思う。


物語というものは、複数の登場人物が出てくる。
そしてそれぞれ個人は、大なり小なり目的を抱えている。

その異なる目的をそれぞれが知ったり、
叶えようとしたり、阻もうとしたり、変更させようとしたり、
よりよいものへ進化させようとして、
登場人物は行動するのだ。
それを一般に、「絡む」という言い方をする。
絡むとは、お話をしたりボケツッコミをしたり、イチャイチャすることではなく、
相手の目的に対して、自分の態度や行動を決め、
実際に働きかけることである。

逆に。
絡むために、登場人物は異なる目的を持たなければならないのだ。
物語に出てくる登場人物で、
目的を持たない者はいてはならない。
それは、絡むことが出来ないからである。

対等な目的なら、主人公と絡む大きな対立者(敵)になるだろう。
主人公よりは小さな目的なら、サブのプロットになるだろう。


つまり、物語というものは、
焦点が「主人公は成功するのか?」だけでは、一本道になってしまうのだ。
成功するかしないかだけだからね。
それは単調で退屈になってしまう。(逆に短いのならキレがいい、となる)

だから、「他の人物は、成功するのか?」も、
焦点として同時に存在しなければならない。

あちらが立たねばこちらも立たず、の矛盾の状況をつくり、
その複雑さを利用するのである。

痛みを伴う結末、スカッとする結末などは、
それぞれの好みや技量やテーマによって異なるだろうけど。

下手な人は、うまくサブプロットをさばけなくて、
この人の話はどうなったんだっけ、みたいなモニョを残しがちだけど。


ドラマ風魔で言えば、霧風のサブプロットは、
いまいち決着がついてない気がする。
そこまでメインキャラに出来なかったこともあるが。
(原作の構造を利用すると、死ぬキャラはきちんとサブプロットが完結するんだよなあ。
生き残るキャラはまだまだ聖剣戦争へと話が続くから、下手に結論を出せなかったのも、ある。
武蔵、霧風、小龍、竜魔、劉鵬については、
夜叉編については結末を用意しなかった、といっても過言ではない。
それは、俺が聖剣戦争もやりたいとう、密かなる意思表示なのだが)



一本道にならないために。

主人公の話が出来上がったら、
他の人の話はどうなったんだっけ、と、
その人視点から物語を眺めてみよう。

矛盾やモニョがないのは当然だ。
そのエピソードも素晴らしい、といえるものを作るべきだ。
それが主人公より目立つと、メインとサブを混同していることになってしまう。
メインプロットがメインディッシュ、
サブプロットがサブディッシュになるべきである。
(原作風魔では、主人公小次郎がメインプロットになっていない。
そのことについては、監督メモで議論している)


たとえば良く出来た脚本の、
それぞれの人物の登場場面だけをその役者になりきって読んでみると、
その人物のサブプロットを味わえるはずだ。
(風魔なら麗羅や壬生になりきってみると分かる。
小さなサブプロットなら、項羽とか、氷川と西脇とか)

多重人格プロセスである、とは、こういうことを言ってるんだけどね。


(蛇足。僕がイーデザイン損保CMを微妙だと思っている原因は、120秒タイプだ。
2分もありながら、メインプロット、すなわち「お客様が示談されて安心」という話の、
一本道しかないのである。だから単調だと思う。
もう一人の登場人物、つまり織田裕二側に目的がないのだ。
劇的目的とは、作業や仕事上の目的ではない、非日常の目的だと思い出そう。
仕事上の示談解決ではない、「別の目的」があれば、馥郁なドラマになったと思う。
僕は、織田裕二とお客様が親しくなる(心を通わせる)、
というサブプロットを用意したのだが、
リアリティーがないと却下されてしまい現状に至る。
まあ、テクニックで、単調には見えないようにしてるけど)
posted by おおおかとしひこ at 19:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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