2015年12月05日

どうすれば書き出しは上手くなるか

冒頭部は重要だ。
ヒキが欲しい。雰囲気が分かりたい。
世界観の一部や、人物の魅力も分かりたい。
それでいて既に伏線が張られ、
テーマの一部が予測したい。


コンテストから選ぶときは、
冒頭数ページを見て、詰まんなかったら捨てるみたいだ。

役者がその脚本を読むべきかどうかは、
冒頭数ページと結末数ページを読んで、
面白ければ全部読む。


脚本を読む行為は、
体力がとてもいる。

詰まらない映画を見る苦痛を思い出そう。
誰だってそんな苦痛は味わいたくない。
仕事ならしょうがなく受けるとしても、
出来るだけやめときたい。
面白くないものは腹が立つ。

体力というか、全身のパワーのようなものが削られていく。

このストーリーは面白いのか?は、
全ての観客、読者が最初に思うことだ。
あなたは、信用に足る、
面白い冒頭を書かなければならない。


さて、そんなことは分かってるだろう。
問題は、どうすれば上手くなるかだ。

僕は逆説的に、
最後まで書くことだと思う。

最後まで書き、「この話の全体がどういうことなのか」が確定しない限り、
冒頭部の、全体に対する寄与など評価できないのである。


冒頭だけ仮に面白くても、
途中から詰まらなくなり、
尻つぼみになる作品はあるかも知れない。

しかし本当に面白い作品は、
冒頭から面白く、
中盤はさらに面白く、
結末が最高、
というものである。

つまり、全体が作者の中で見えていて、
コントロールされた上で冒頭から面白くされていなければならないのだ。

そういう冒頭部は、数ページ読めば大体分かるというものだ。

無駄なく引き付け続けるように出来ている。


最初から冒頭部を面白くしなくてもいい。
第一稿は、とりあえず最後まで書ききる。
リライトで、更に面白くしていけばいい。
第一稿の完成度は、30%ぐらいでいいと僕は思う。
そこから、全体の組み直しや引き締めをしていって、
はじめて客観的に面白いものを、
作っていけばいい。

リライトの能力は、執筆とは別に鍛える必要がある。
全体を俯瞰できる力と、
その俯瞰から全体の配分を再構成する力と、
目の前の細かい文脈を、
大きな文脈に即して面白くする力が、
必要だと思う。


冒頭部から書き始める。
途中で挫折するか、最後まで書く。
だから、少なくとも、冒頭部はみんな上手い。
そこそこ書いた経験があるからだ。

でも、その先が下手だ。冒頭部ほど書いてないからだろう。
部分が下手なのは、
全体を俯瞰できるほど書いてる経験がないからである。

勿論個人的弱点はあるだろう。
しかし、それを克服しなきゃプロになれない。
なってもいいけど、毎回あの脚本家あそこが弱いとボコられるだろう。

書き出しは、全体を俯瞰できるようになって、
はじめて上手くなる。


経験的に、冒頭部数ページを見れば、
大体の実力はわかる。
最初から面白いからである。

面白いというのは、派手である必要は必ずしもない。
静かな立ち上がりだが、
緊張感が途切れず、目が離せないというのもある。
なんだか笑ってしまって微笑みながら見てしまうというのもある。

それは、結論の逆だったり、結論だったりする。
それを分かりながら読み進められる脚本が、
いい脚本というものだ。

極端にいうと、
トップシーンでそれは分かる。

長年映画を見てると、
これは面白い、というのはトップシーンから面白いからだ。
(冒頭部が傑作なのに失速する「かいじゅうたちのいるところ」もある)

冒頭部が面白くないが、後半物凄く面白くなるのも、
たまにはある。
だから、冒頭部と結末部を先に読むのである。



書き出しはじめよう。
どうせそれは、
全体が出来てからあとで綿密に書き直される。

全ては全体が面白いかどうかと、
その全体に対して、各部が出来ているかだ。
posted by おおおかとしひこ at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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