冒頭部は重要だ。
ヒキが欲しい。雰囲気が分かりたい。
世界観の一部や、人物の魅力も分かりたい。
それでいて既に伏線が張られ、
テーマの一部が予測したい。
コンテストから選ぶときは、
冒頭数ページを見て、詰まんなかったら捨てるみたいだ。
役者がその脚本を読むべきかどうかは、
冒頭数ページと結末数ページを読んで、
面白ければ全部読む。
脚本を読む行為は、
体力がとてもいる。
詰まらない映画を見る苦痛を思い出そう。
誰だってそんな苦痛は味わいたくない。
仕事ならしょうがなく受けるとしても、
出来るだけやめときたい。
面白くないものは腹が立つ。
体力というか、全身のパワーのようなものが削られていく。
このストーリーは面白いのか?は、
全ての観客、読者が最初に思うことだ。
あなたは、信用に足る、
面白い冒頭を書かなければならない。
さて、そんなことは分かってるだろう。
問題は、どうすれば上手くなるかだ。
僕は逆説的に、
最後まで書くことだと思う。
最後まで書き、「この話の全体がどういうことなのか」が確定しない限り、
冒頭部の、全体に対する寄与など評価できないのである。
冒頭だけ仮に面白くても、
途中から詰まらなくなり、
尻つぼみになる作品はあるかも知れない。
しかし本当に面白い作品は、
冒頭から面白く、
中盤はさらに面白く、
結末が最高、
というものである。
つまり、全体が作者の中で見えていて、
コントロールされた上で冒頭から面白くされていなければならないのだ。
そういう冒頭部は、数ページ読めば大体分かるというものだ。
無駄なく引き付け続けるように出来ている。
最初から冒頭部を面白くしなくてもいい。
第一稿は、とりあえず最後まで書ききる。
リライトで、更に面白くしていけばいい。
第一稿の完成度は、30%ぐらいでいいと僕は思う。
そこから、全体の組み直しや引き締めをしていって、
はじめて客観的に面白いものを、
作っていけばいい。
リライトの能力は、執筆とは別に鍛える必要がある。
全体を俯瞰できる力と、
その俯瞰から全体の配分を再構成する力と、
目の前の細かい文脈を、
大きな文脈に即して面白くする力が、
必要だと思う。
冒頭部から書き始める。
途中で挫折するか、最後まで書く。
だから、少なくとも、冒頭部はみんな上手い。
そこそこ書いた経験があるからだ。
でも、その先が下手だ。冒頭部ほど書いてないからだろう。
部分が下手なのは、
全体を俯瞰できるほど書いてる経験がないからである。
勿論個人的弱点はあるだろう。
しかし、それを克服しなきゃプロになれない。
なってもいいけど、毎回あの脚本家あそこが弱いとボコられるだろう。
書き出しは、全体を俯瞰できるようになって、
はじめて上手くなる。
経験的に、冒頭部数ページを見れば、
大体の実力はわかる。
最初から面白いからである。
面白いというのは、派手である必要は必ずしもない。
静かな立ち上がりだが、
緊張感が途切れず、目が離せないというのもある。
なんだか笑ってしまって微笑みながら見てしまうというのもある。
それは、結論の逆だったり、結論だったりする。
それを分かりながら読み進められる脚本が、
いい脚本というものだ。
極端にいうと、
トップシーンでそれは分かる。
長年映画を見てると、
これは面白い、というのはトップシーンから面白いからだ。
(冒頭部が傑作なのに失速する「かいじゅうたちのいるところ」もある)
冒頭部が面白くないが、後半物凄く面白くなるのも、
たまにはある。
だから、冒頭部と結末部を先に読むのである。
書き出しはじめよう。
どうせそれは、
全体が出来てからあとで綿密に書き直される。
全ては全体が面白いかどうかと、
その全体に対して、各部が出来ているかだ。
2015年12月05日
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