これは本当だ。
ただし初心者のうちは、という限定つきだけど。
初心者をいつ頃脱するかの判断(仮説)は、
以前にも書いている。
文庫本三冊分、30万字、原稿用紙750枚。
脚本換算で750分ぶん、劇場映画6〜7本ぶんである。
これは完成原稿換算だ。
これとは別に、原稿用紙を積み上げて身長分に達したら一人前、
という格言もある。
100枚1センチぐらいらしいので、
170センチとしたら、17000枚書けばいい。
750枚で割ると22程度。
書き損じや清書の回数を10稿程度として、
腰まで書ければ初心者脱出、
という僕の直感は、大きく外れていない。
ここまでは、経験上、
書けば書くほど上手くなる。
まとめスレでこの話題を見た。
作家の晩年が上手くなってないから、
書けば書くほど上手くなる、は真ではない、
という発言があって、
それは初心者の話と別だろ、と突っ込みたくなった。
それは沢山書きたくない言い訳だろ、と。
初心者のうちは、書け。
30万字書いてから言え。
投球のフォームのように、
初心者のうちは無駄がとても多い。
何度も何度もやるうちに、
段々と無駄が洗練されてくる。
ばたばただったものが、スムーズに流れるようになる。
無駄なことにエネルギーを使わなくなった結果、
必要なことにエネルギーを使える効率が生まれる。
それをフォームという。
型が身に付いたともいえる。
そこまでは、書けば書くほど上手くなる。
一端身についたフォームを、
あとはどう改造して、より良くするかが、
中級者や上級者の課題だと思う。
型を崩すことで失敗も良くある。
自然に元の型に戻る人もいるし、元の型に戻れない人もいる。
(どうやらハンカチ王子は、
大学野球でフォームを改造して崩し、
元のフォームに戻れていないようなのだ)
いくつかの違う型を身につける人もいる。
たとえば僕は、前半コメディ型、後半感動系型が、
得意な気がする。
投球のフォームにたとえられるか?
投球は体で、執筆は頭でやることではないか?
違うのだ。
同じ神経系を使うので、
両者は脳からのアウトプットということで相似だ。
思考のコントロールこそが、フォームだからだ。
まずは30万字書いてから言え。
そこまで書く根性がないのは、
それこそ才能がないから、やめておけ。
どうしてもやりたいなら、血尿出してでもくらいつけ。
初心者が書き続けることは、とても苦しい。
マラソンのように体(神経系)が慣れるまで、
とても苦しい。
慣れるまでの適応の苦しさだ。
それを乗り越えて、ようやく慣れというものがやってくる。
慣れとは、ある種の自動化だ。
それが出来るまでが、
初心者の上達、というものだ。
これを観客や読者から見れば、
変な臭みが抜けて、とても分かりやすく入り込みやすい表現になっている、
ということに他ならない。
無意識に色々出来て、はじめてさあ何を創るかな、
という段階になると思う。
自転車に乗れるようになっただけで、
どこへどうやっていくかは、別の話だけど。
以下、ちょっとした計算。
30万字を3年でやる場合。
年間10万字250枚、月21枚、1日0.7枚。
1年計画なら、その3倍書く。
週5の週休2日なら、3年計画なら1日1枚、1年計画なら3枚。
土日のみなら、3年計画で2日で5枚、1年計画なら15枚。
連休や長期休暇は入れていない。
出来ない量じゃないけど、
スランプ考えてない数字だからね。
構想や調べものや試行錯誤やリライトを計算に入れてない。
このペースより沢山書いたときだけ、
書かない自由が生まれるノルマの牢獄。
実感だけど、この2倍から3倍のペースで書かないとしんどい。
三ヶ月ぐらいやってみて自分の平均を取り、
結構キツイペースだって自覚することだ。
書けば書くほど上手くなる訳じゃない、なんて言うやつは、
この計算をしてみるほどの分量を想定してないんじゃないかね。
2015年12月06日
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