2015年12月06日

書けば書くほど上手くなる

これは本当だ。
ただし初心者のうちは、という限定つきだけど。


初心者をいつ頃脱するかの判断(仮説)は、
以前にも書いている。

文庫本三冊分、30万字、原稿用紙750枚。
脚本換算で750分ぶん、劇場映画6〜7本ぶんである。

これは完成原稿換算だ。
これとは別に、原稿用紙を積み上げて身長分に達したら一人前、
という格言もある。
100枚1センチぐらいらしいので、
170センチとしたら、17000枚書けばいい。
750枚で割ると22程度。
書き損じや清書の回数を10稿程度として、
腰まで書ければ初心者脱出、
という僕の直感は、大きく外れていない。


ここまでは、経験上、
書けば書くほど上手くなる。


まとめスレでこの話題を見た。
作家の晩年が上手くなってないから、
書けば書くほど上手くなる、は真ではない、
という発言があって、
それは初心者の話と別だろ、と突っ込みたくなった。
それは沢山書きたくない言い訳だろ、と。

初心者のうちは、書け。
30万字書いてから言え。


投球のフォームのように、
初心者のうちは無駄がとても多い。
何度も何度もやるうちに、
段々と無駄が洗練されてくる。
ばたばただったものが、スムーズに流れるようになる。
無駄なことにエネルギーを使わなくなった結果、
必要なことにエネルギーを使える効率が生まれる。
それをフォームという。
型が身に付いたともいえる。

そこまでは、書けば書くほど上手くなる。

一端身についたフォームを、
あとはどう改造して、より良くするかが、
中級者や上級者の課題だと思う。

型を崩すことで失敗も良くある。
自然に元の型に戻る人もいるし、元の型に戻れない人もいる。
(どうやらハンカチ王子は、
大学野球でフォームを改造して崩し、
元のフォームに戻れていないようなのだ)
いくつかの違う型を身につける人もいる。
たとえば僕は、前半コメディ型、後半感動系型が、
得意な気がする。

投球のフォームにたとえられるか?
投球は体で、執筆は頭でやることではないか?
違うのだ。
同じ神経系を使うので、
両者は脳からのアウトプットということで相似だ。
思考のコントロールこそが、フォームだからだ。


まずは30万字書いてから言え。
そこまで書く根性がないのは、
それこそ才能がないから、やめておけ。
どうしてもやりたいなら、血尿出してでもくらいつけ。

初心者が書き続けることは、とても苦しい。
マラソンのように体(神経系)が慣れるまで、
とても苦しい。
慣れるまでの適応の苦しさだ。

それを乗り越えて、ようやく慣れというものがやってくる。
慣れとは、ある種の自動化だ。
それが出来るまでが、
初心者の上達、というものだ。

これを観客や読者から見れば、
変な臭みが抜けて、とても分かりやすく入り込みやすい表現になっている、
ということに他ならない。


無意識に色々出来て、はじめてさあ何を創るかな、
という段階になると思う。

自転車に乗れるようになっただけで、
どこへどうやっていくかは、別の話だけど。



以下、ちょっとした計算。
30万字を3年でやる場合。
年間10万字250枚、月21枚、1日0.7枚。
1年計画なら、その3倍書く。
週5の週休2日なら、3年計画なら1日1枚、1年計画なら3枚。
土日のみなら、3年計画で2日で5枚、1年計画なら15枚。
連休や長期休暇は入れていない。

出来ない量じゃないけど、
スランプ考えてない数字だからね。
構想や調べものや試行錯誤やリライトを計算に入れてない。
このペースより沢山書いたときだけ、
書かない自由が生まれるノルマの牢獄。
実感だけど、この2倍から3倍のペースで書かないとしんどい。

三ヶ月ぐらいやってみて自分の平均を取り、
結構キツイペースだって自覚することだ。

書けば書くほど上手くなる訳じゃない、なんて言うやつは、
この計算をしてみるほどの分量を想定してないんじゃないかね。
posted by おおおかとしひこ at 13:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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