2015年12月08日

デジタルは人を幸せにしない:当たり確率の減少

地上波で衛星もなかった頃。
深夜放送もなかった頃。
テレビは限られた番組数だった。
そこで流れるドラマたちは、
オリジナリティを競いあい、
看板俳優を豪華に使い、
制作費をばんばん使っていった。

内容と予算が噛み合っていた。
それは、出口が有限個しかなかったからだ。


有限個しかないから、
それぞれの枠に入るための、
裏での競争はすさまじかっただろう。

しかし覚えていて欲しい。
これだけの才能と予算と興業が集中していても、
糞作品は沢山あったことを。

「面白い」のは常に一部だった。
バブルであってもだ。

A級でも糞作品はあったし、
B級でも糞だらけだった。
きら星のような名作たちは、その上澄みだ。



時代が下り、
衛星放送がチャンネルを増やし、
ネットが莫大に映像コンテンツを増やした。
YouTube、ニコ生、スマホ用ドラマなど。
(NOTTV終了なんですって)

裾野は広がりまくった。
しかし、予算は有限だ。

糞作品の確率が、上がったような気がする。
そのせいで、良作や名作の確率が下がり、
それに触れる人を減らしていってる気がする。


昔の有限個時代なら却下されたレベルの才能のやつが、
大手を振って深夜ドラマをやったり、
ネットで作っていたりする。

ネットのお陰で、裾野は広がった。
しかし名作をより生むようになったか。

逆だ。
名作の生まれる確率は、徐々に下がっている。

なぜか。
予算がないからだ。時間もないからだ。
昔ならガッツリ打ち合わせて、
逃げ場のないところで鍛えられたものが、
今は中途半端なレベルで世にでるからだ。

日本のドラマは危険信号だろう。
日本の映画は、もっと危険信号な気がする。
ハリウッドもちょっと怪しくなってきた。


糞作品は、確率的に必ず出来る。
磐石だと、進撃をみんな(製作委員会)が思ってたんだろ?

デジタルは人を幸せにしない。

ドラマや映画の平均の質を、結果的に落とした。
もうすぐ、トレンディ全盛期の記憶がリアタイではなく、
今の下らないドラマしか見たことのない人たちばかりになる。

デフレスパイラルだ。


これをどうやって救えるのか。
面白いのは面白いといい、
糞は糞と、ストーリーを正直に分析し続けるしかないかもね。
posted by おおおかとしひこ at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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