地上波で衛星もなかった頃。
深夜放送もなかった頃。
テレビは限られた番組数だった。
そこで流れるドラマたちは、
オリジナリティを競いあい、
看板俳優を豪華に使い、
制作費をばんばん使っていった。
内容と予算が噛み合っていた。
それは、出口が有限個しかなかったからだ。
有限個しかないから、
それぞれの枠に入るための、
裏での競争はすさまじかっただろう。
しかし覚えていて欲しい。
これだけの才能と予算と興業が集中していても、
糞作品は沢山あったことを。
「面白い」のは常に一部だった。
バブルであってもだ。
A級でも糞作品はあったし、
B級でも糞だらけだった。
きら星のような名作たちは、その上澄みだ。
時代が下り、
衛星放送がチャンネルを増やし、
ネットが莫大に映像コンテンツを増やした。
YouTube、ニコ生、スマホ用ドラマなど。
(NOTTV終了なんですって)
裾野は広がりまくった。
しかし、予算は有限だ。
糞作品の確率が、上がったような気がする。
そのせいで、良作や名作の確率が下がり、
それに触れる人を減らしていってる気がする。
昔の有限個時代なら却下されたレベルの才能のやつが、
大手を振って深夜ドラマをやったり、
ネットで作っていたりする。
ネットのお陰で、裾野は広がった。
しかし名作をより生むようになったか。
逆だ。
名作の生まれる確率は、徐々に下がっている。
なぜか。
予算がないからだ。時間もないからだ。
昔ならガッツリ打ち合わせて、
逃げ場のないところで鍛えられたものが、
今は中途半端なレベルで世にでるからだ。
日本のドラマは危険信号だろう。
日本の映画は、もっと危険信号な気がする。
ハリウッドもちょっと怪しくなってきた。
糞作品は、確率的に必ず出来る。
磐石だと、進撃をみんな(製作委員会)が思ってたんだろ?
デジタルは人を幸せにしない。
ドラマや映画の平均の質を、結果的に落とした。
もうすぐ、トレンディ全盛期の記憶がリアタイではなく、
今の下らないドラマしか見たことのない人たちばかりになる。
デフレスパイラルだ。
これをどうやって救えるのか。
面白いのは面白いといい、
糞は糞と、ストーリーを正直に分析し続けるしかないかもね。
2015年12月08日
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