酒飲みの飲み方みたいだけど。
考え付くそう。
全て考えうるアイデアを出しきり、
自分の個人的体験も出しきろう。
頭の中のものを出しきって、
何もなくなってからが、
ようやく勝負のはじまりだ。
そもそも、
考えはじめてパッと出るものは、
あなたの上澄み部分に過ぎない。
あるいは、
誰もが考える、ベタな部分かもだ。
まあベタはこういうことだろうな、
と吐き出して、
それじゃつまらんよな、と考えるために、
一端ベタを吐き出しておくというやり方すらある。
僕はものを考えるとき、
白紙を前に、フリーで手書きで書き込みまくる。
ただしその紙の範囲内で、二枚目、三枚目は使わない。
そのA4の紙の中に、全てが入るように書き込みまくる。
なんとなくこのへんかな、と当たりがつくものは丸で囲ったりして、
改めていけそうなやつは、
白紙に最初からそのパターンだけについて書き始める。
それがまとまったら、
最初の一枚をベースに、他の方向はあり得るのか、
などを考え倒す。
それがびっしりと細かい文字で埋まる頃、
一日が終わる。
途中退屈したら、スマホなどで調べものをし
(あるいは誰かとやっていたら雑談し)、
分かったことは別紙にまとめ、
使えそうなことだけを最初の一枚に書き込むことがある。
つまりは、
最初の一枚に、すべての上澄みを吐き出すのである。
二枚目、三枚目以降は各論というわけだ。
これを1セットとしよう。
これで一日を終える。4から6時間ぐらいぶっとおす。
すぐ使えそうなものは大体出来ていることが殆どだ。
で、次の日。2セット目に入る。
白紙を最初に一枚出して、
思いつくことを書いていく。
ネタ被りをしたら、必ず違う使い方をするか、
そのネタ自体を使わないようにする。
あとは同じ。
1セット目に対して、
2セット目に書かれることは、
上澄みを捨てた上澄みだ。
つまり、あなたの中を深く掘って行き、
第二階層にたどり着いたということだ。
以下、日々繰り返す。
第三階層、第四階層へと。
おそらく、掘れば掘るほど枯渇する。
若いやつにやらせると、第三階層あたりで息切れし、
詰まらないものしか出てこなくなる。
それは、自分のなかに充実したものがないか、
自分のなかに埋もれる何かを吐き出すやり方が分からないのだろう。
第n階層へ。
僕は若手の頃、CMのときに最大15か20セットぐらいこれをやった。
逆さに振っても何も出なくなるから、
面白い何かに飛びつく渇きがあった。
若いうちにここまで自分を深く掘る経験は、
しておくといい。
自分を追い詰める経験だ。
一人じゃなかなか出来なくて、仕事だから出来たのかも。
一人じゃ締め切りも強制力もないから、
無限地獄で自殺か、そこまで行く前に逃げちゃうかだよね。
深い階層へいくと何があるだろう。
それは、自分のなかの脳内の構造をのぞきみるような体験だ。
自分はこのように物事を考えていたのか、
と、外に出してはじめてわかるのものだ。
それが、階層が浅いうちは、単なる連想ゲーム程度。
深い階層へ潜らないと、個々の関係性のようなことまで掘れない。
(多分だけど、禅の内観ってこれをやるのじゃないかな)
で。
たまに、第一階層から現階層までを全部見て俯瞰する。
(A4の紙を、クリアファイルに地層のように入れてある)
そのときに、ようやく何かが統合されて、
ベストのアイデアに成型されてゆく。
それを新たに第一階層とし、
そのとき、大抵が既に構造化済みだったりする。
上澄みを吐き出しきってからが、勝負だ。
それは第一階層にすぎない。
作品の規模によるけど、
CMなら第三階層から10程度、
二時間映画なら10から数十階層(深く、というよりは、
長いので各場面をCM程度に掘る、みたいになってくる)
長編小説なら数十から数百、
ぐらいじゃないかなあ。
アイデア出しが苦手なのは、
追い詰められるのを、週5でやってないからじゃないか?
それが月一回じゃ鍛えられるとは言わない。
月三回あると、大分鍛えられるね。
最近のCMの企画現場はぬるくて、こういう風に若手を鍛えない。
僕は問題視しているが、止められない流れだ。
また、映画脚本でも、黒澤の合宿みたいなのは流行らないだろう。
何故か?キツイからに決まってる。
キツイから、安易なOKを出して、レベルが下がって行くのである。
勿論、これで壊れるのなら、アイデア出しそのものに向いてない。
別の仕事で、アイデアを出す人を尊敬しながらやることだ。
パクり?それはアイデア出しに含まれない。
2015年12月09日
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