2015年12月10日

複雑さと、シンプルさと

複雑で分かりにくいのは、意味がない。
だからシンプルにせよ、とよく言われる。

だが、単純なものは詰まらない。
豊かでないシンプルは、ただ物足りないだけである。

理想は、シンプルなのにとても複雑なものが背後にあるものである。


どうやったらそういうものを作れるだろうか。


先に複雑なものをつくることを考えよう。
複雑で面白いものをまずつくる。
しかし複雑すぎて伝わらない。解読できない。

このとき、削ぎ落とすことでシンプルに近づける方法が、
一番ポピュラーかも知れない。

しかし単なる削ぎ落としは、本質を痩せさせる。

痩せたことでよくなることもあるから、
一概に悪者扱い出来ないが、
多くの場合、削ぎ落としだけだと、
複雑だったときの面白さから、
面白さがなくなってしまう。

出し殻でしかない。

多くの原作つきの映画化の失敗は、
単に削ぎ落として、形上シンプルにしただけだからだ。
だから、良さが失われる。


では、先にシンプルな構造をつくり、
複雑さを付加していくべきか。

最初のシンプルな構造が、
複雑さや豊かさを生まないとき、
どんなに複雑にしていっても詰まらない。
それは、最初のシンプルな構造以上にならないときが多い。
シンプルな形だけでは詰まらない。
それが醸し出す可能性や複雑さが面白いはずなのだ。


ということで、
どちらからのアプローチも大抵失敗に終わる。
形と内容と、両方に挟まれて、どっちも良くなくなる。

理想は、
複雑で面白いものを先につくり、
それを殆ど含む、
全く新しいシンプルな構造をあらたに作り出すことだ。

醸し出す宇宙の複雑さをそのままに、
シンプルで少ない要素で表現し直すのである。

これが大変難しい。


頭のよい人は、
難しいことをとても簡単な言葉でいえるという。
そんな感じだ。

難しいことを難しく言うことは、簡単。
簡単なことを簡単に言うのも、簡単。

簡単なことを難しく言うのが、詐欺。

あなたは、
難しいことを、簡単にいうこと。

それが創作というものである。


僕は、ただシンプルにシンプルに、
と指導をする人をバカだと思っている。
恐らく、複雑で難しいことを理解できないのだろうと、
思っている。
何故なら、その人の言うシンプルな作品は、
大抵底の浅い、詰まらないものだからである。

複雑なことをシンプルに凝縮できたとき、
複雑なことを全く別の要素に変換できたとき、
表現が生まれると思う。


まあ、まずは物凄い複雑な面白ものをつくればいい。
リライトで、凝縮していこう。
これをズバリ一言で言う、などの、
本質の抽出をしていくのだ。


表現とは、
あなた一人だけがたどり着いた、
ある深い底のことを、表現することだ。

深い底を深く複雑に言う方が、
シンプルに削ぎ落として浅くなるより、
まだ優秀だと思う。
ただのシンプルは、深くないから。

深い底までたどり着けるシンプルを、
最終的に目指したい。
posted by おおおかとしひこ at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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