主人公への感情移入だ。
主人公が陥ったシチュエーションに興味がわくこと。
出来れば、
主人公が少し好きになっていること。
主人公の背景がわかり、同情や共感、同調の気分があること。
そして、第一ターニングポイントでの、
主人公の事件への本格参与(解決への意志)に、
心が震えていることだ。
一幕は、
主人公がどういう人か(その周囲も含む)、
事件がどんなものか(最初は小さな異変からはじまり次第に大きくなってゆく)、
及び、主人公の事件解決への乗り出し(第一ターニングポイント)、
さえ書ければ、
他に何をやっても構わない。
(むしろその他のほうが一幕の印象を左右する)
しかしストーリーとは説明ではない。
ストーリーとは、我々の感情で見るものだ。
そのストーリーに、我々の感情が入り込むことこそが、
最も大事な一幕の役目ではないかと思う。
下手な一幕は、セットアップという「説明」をしてしまう。
ストーリーとは説明ではない。
説明だから、一幕はダルいと思われてしまう。
一幕は説明ではない。
一幕は、引き込みである。
主人公への興味、共感、同調、感情移入をし、
これからの焦点(事件は解決するのか?というセンタークエスチョン)
に対して、頭ではなく、感情で入り込むように、
なっていなければならない。
説明的理解ではなく、
感情的没入である。
つまり、それまでに、我々観客の感情が振れなければならない、
ということである。
爆笑という喜劇もある。
じんときたり、ホロリと来たり、絶望を感じる悲劇もある。
その一幕で最初に一番大きく振れる我々の感情こそが、
その物語のジャンル(主たる感情)を決めると、
僕は考えている。
あなたの書いた一幕は、
主人公への深い感情移入が達成されているか。
既に主人公の中に我々の目が入っていれば完成だ。
主人公が向かう目の方向、
すなわち、センタークエスチョンの方向に、
我々は不安で、しかしやらなければならない勇気を奮い起こして、
ドキドキしているだろうか。
そうなっていれば、一幕の役割は果たせていると僕は思う。
それを25分から30分、原稿用紙25から30枚でやるのが、
映画脚本の第一幕というスタイルである。
2015年12月12日
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