2015年12月16日

ステージング

演出論になってしまうけど、
カメラで芝居を撮るということは、
こういうことだと知っておくといい知識。


ステージングとはハリウッド用語で、
これに当たる日本の映画用語はない。
カット割と導線などと分けて呼ばれて、
ステージング全体を示す日本語がないので、
この言葉で以下通す。

ステージングに一番近いことばは、振り付けだ。
しかし日本語で振り付けというと、
踊り限定になる。
コレオグラフィーと英語では言う。

ちなみに闘い系は日本だと殺陣師が振り付けをするが、
ハリウッドはコレオグラファーがやるか、俳優や監督がやる。
カンフーに限り、ファイトコレオグラファーがつく。
殺陣師ではなく、ハリウッドではコレオグラフィー扱いである。
(勿論ハリウッドにチャンバラがないからだ。
つまり日本は百年以上前の剣術が伝承されている、
世界でも珍しい国である。
逆に、ハリウッドではガンアクションやカーチェイスが発達している。
この辺はスタントコーディネーターという別の職種がある)


さて本題。
普通のお芝居のステージングとは、何をすることだろう。

以下、シーン単位で考える。

人物(二人から五人程度を考えよう)の立ち位置、
仕草、移動を考えることが、ステージングだ。

演劇の演出は、まずこれを決めないと始まらない。

立ち位置を決める為に、
椅子やテーブル、窓や扉、階段、停車した車などを利用する、
あるいは、芝居に都合のいい位置を決める、
これがステージングの基本準備だ。

これらは大道具による位置決めだが、
小道具、たとえば机の上の銃、棚の上の写真たて、
首に下げたペンダント、封筒の中の手紙、
など、自由に置けるもので、立ち位置やステージングをつくる手もある。

たとえば、
窓際で外を見ていたAが、
扉から入ってきたBの台詞を聞いて振り返り、
テーブルの上に置かれた手紙を椅子に座って読み、
直立して聞いていたBのところまで歩いていって渡す、
などである。
(これに応じて、Bは一端は椅子に座るが、
苛々して立ち上がり、椅子の回りをぐるぐるまわり、
Aの差し出しを扉の外まで出て一端は拒否するが、
再び部屋に戻ってくる、
などである。ダンドリともいうし、導線ともいう。
同時にCDEなどがいれば、突っ立ってるのか、
動くのかを決める。
なんのためにその導線を作るか。
それは、台本の内容、感情を表現するためである)


基本は台本にあるト書きを実現する。
その間の為に、窓や扉や椅子の配置を、ベストに決めるのだ。
美術のセットは、その為に寸法を決める。

リアリティーは大事だが、
芝居のステージングの為に寸法を決めていい。
もし台詞や間よりも窓から扉が遠いのなら、
窓と扉の位置を狭く作り直すか、
俳優が間を取りながら遠い場所まで移動するしかない。
後者は台本を変えることになるから、
普通は芝居優先で前者をとる。

ハリウッド映画は、窓と扉の位置を芝居に合わせて作り替えるため、
セットを作って撮影する。
芝居が優先であり、現場で変更したら、セットも作り直しだ。
(その為、撮影用のセットは簡単に取り外し出来るようになっている)

ところが日本映画はこういう予算がないから、
どこかにある部屋や施設を借りる
(ロケ。ロケは外のことを指すので、
ロケセットというややこしい言い方をする。
外にあるものを借りるのだが、室内という意味だ)。

窓と扉がたとえ遠かったとしても、
芝居の方が無理をしなければならない。
役者のアドリブや監督の腕に頼らなければならない。

そうそう毎度上手くいかないから、
日本映画の芝居はハリウッドよりレベルが低い(ことが多い)。
芝居に最適な空間を与えてもらっていないのだから、
当然と言えば当然だけど。

全ては予算だね。
人は見た目だけのことを予算に比例だと思っているが、
こういう「空間を作ること」という、
目に見えない予算に金の価値を認めないんだね。


背景の空間(大道具、美術セット)と、
小さな移動できるもの(小道具)を使って、
俳優たちの立ち位置や導線をつくるステージングは、
演出の仕事だ。

映画監督にはもうひとつ仕事がある。
カメラのステージングである。
振り付けた俳優たちの動きを、どこから撮るのかを決めることだ。

芝居ならば、板と観客席は動かない。
(たまに舞台や客席が動くやつがあるけど、それは例外にしよう)
基本は、観客席から見た、舞台上の振り付けをすればいい。
(だから漫才でもハの字に立つのだ)

ではカメラを観客席だと思えばよいか。
映画の黎明期はそうだった。
1カット、引きで演技全部を撮影しておしまいだった。
舞台中継のようなものだと。
ところが、「別のカメラでアップを抜く」という、
カット割をするという発明によって、
映画は演劇のステージングだけでない、
独特の文法を得るのだ。

カット割とは、カメラのステージングのことである。
いわば、観客席をそこに移動させるのである。
映画とは、
ステージングされた俳優たちの演技を、
ステージングされたカメラで見ることである。

容易に想像出来る通り、
観客席があらゆるところに振り回されると、
観客は混乱する。
(これを利用して速いカッティングで混乱を表現できる)
だからその混乱を避けるために、
イマジナリラインのルールがあるわけだ。
(イマジナリラインについては図を見たほうが速いので、
本やサイトでググってね)

あるいは、カメラはフィックス(動かない)とは限らない。
動くカメラがある。
カメラも導線を持ち、振り付けするのである。
(レール、ドーリー、クレーン、ステディカムなどの手動で動かすもの、
カメラカー、ヘリ、ドローンなど機械に乗せてオペレートするものの、
大きく二種類の動かし方がある)


ちなみにコツは、
人物とカメラを両方動かさないこと。
人物が動くか、カメラが動くのが原則だ。

(先日見た映画版デスノートは、下手くそな演出だった。
驚くたびに、人物がフィックスで、カメラがグーっと寄っていく。
定番の演出だけど、毎回こればっかりやってて、
下手かよ!と突っ込みながら見ていた。
しかも毎回25ミリぐらいのレンズでさ。レンズぐらい変えりゃいいのに)



ステージングとは何か。

役者の導線とカメラの導線(カット割も含む)で、
その台本を表現することである。

殆どはカメラがフィックスで人物が動く。
一部、カメラが動く。
何故ならカメラが動くより人が動く方が簡単だからだ。
しかしカメラが動かないと表現できないステージングのためには、
カメラが動く。
(ちなみにイーデザイン損保のCMは、全編ステディカムで、
カメラが動いている。
電話という、人物があまり動けない芝居なので、
交通事故という事態の緊迫を示すには、
カメラが動くしかないのである。
昨今歩きスマホもやいやい言われるので、立ち止まって電話しなきゃいかんのさ。
メイキングを見れば、カメラが動いている様を見ることが出来る)


監督とは、ステージングによって、
物語の動きを表現する人のことだ。

では、物語の動きとは何か?
台本に書いていない限り、
それは表現できないのである。


ちなみに、下手くそな監督は、
板付き(場所を全く動かないこと)しか演出出来ない。
物語を動きだと理解していないからである。
感情のうごきを、人やカメラの動きで表現する術を知らないからである。

勿論、動きがない台本の可能性もあるけれど。
posted by おおおかとしひこ at 13:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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