2015年12月23日

人称と初心者のミスとの関係

さらに前記事の続き。

ということで、
初心者が陥りがちなミスはかなりの確率で、
三人称形式をマスターしていないことに起因するのである。


オナニーに過ぎないもの、
テーマを演説してしまうこと、
説明ベタ、
メアリースー。

これらは、三人称である物語形式を、
一人称または二人称と混同する、
認識不足や力不足によっておこる。


1. オナニーに過ぎないもの。

作者の自分の中では成立しているが、
観客から見るとたいして面白くなく、白けるもの。
これをオナニー的であるという。

これは、一人称で見ていて三人称で見ていないからである。

自分だけで成立していることは、一人称である。
自分の部屋、一人言、
自分の独自の考えや思いや、記憶やセンスや体験。
それらは、三人称では共有されない。
三人称とは、全員で共有しうる価値について話すことである。

全員で、をイメージしにくいときは、
家族で、友達間で、クラスで、町内会で、社で、県で、
などをイメージするといい。
多くなってくると分からなくなるので、10人から100人以内がいい。

あなたはこの人たちを前に、自分独自の価値を示して、
なるほどいいね、と思ってもらわなければならない。

ところが、それをすっかり忘れている。

自分だけが分かってる設定、台詞、展開、落ち、表現になってしまう。
あなたが理解するあなたの話ではなく、
100人が読み取る他人の話になっていない。

我々が書くものが三人称であることを、忘れているのか、
意識が出来ていないのである。

これを自覚するには、
100人を前に演説し、涙を流させたり爆笑をとったりする経験を積むといい。
これは二人称表現による、一人称に陥りがちな目の矯正である。
相手を意識することを、まず叩き込むといい。

三人称を書く上でマストとは限らないが、
二人称で客が沈黙するやつが、三人称で爆発するとは思えない。
忘年会の一芸でもスピーチでも、
やっておくと経験になるよ。


逆に一人称小説は、あなた独自の価値や世界を、
読者が追体験することである。
たとえば好きな子と一瞬だけ目が合い、
消ゴムを拾って貰ったことを、
一人称小説では世界最高の幸福として描くことが出来る。
一方、三人称表現での幸福の描きかたは、
第三者の誰もが羨む条件を描く。
豪邸や大金や美女や酒池肉林か、感情移入による一人称的幸福を描く。
つまり、一人称小説には三人称の意味での感情移入は起こらない。
感情移入とは、第三者をまるで自分だと思うことだ。
最初から自分の視点を共有していることとは違う。



2. テーマを演説してしまうこと。


二人称を、三人称と混同することによる誤り。

二人称とは、誰かに何かを演説したり、
説明したり、主張したりすることである。
このブログも二人称形式である。
わたしの主観や分析を、
あなたに(客観性をもちながら)語っているのである。

演説や論文や説明や社説は二人称だ。
写真やカメラ目線も、センターコピーも二人称だ。
ご挨拶や語りも二人称だ。
ファンサービスやメイキングやツイッターも二人称だ。
クイズの問いは二人称だ。

これらは、あなたとのコミュニケーションである。

三人称にこれはない。
カメラ目線もあなたとの繋がりもない。
ただ透明な第四の壁から、
あなたとは関係ない人々のなにやらを覗き見しているうちに、
まるで自分のことのように感じることである。

三人称はあなたを見ない。
三人称は目線を合わせない。

下手な演説や主張をしてしまうのは、
三人称なのにカメラ目線になってしまうことと同じだ。
間違いなのである。
三人称は、わたしとあなたとのコミュニケーションではない。
他の人と他の人とのやり取りを示して、
それを覗き見することだ。

仮にAがあなたの主張を演説し、Bがなるほど、
という形式で、二人称の演説を三人称変換した、
と思い込むとしよう。
これは多くの糞CMで、本気で効果的だと思われている誤解である。
何故なら、あなたがそのCMでなるほどと思った確率は0に近いからだ。
100%近くの確率で、嘘くせえとしか思わないでしょ?
そこに感情移入を発生させることが、三人称ということだ。

わたしとあなたとのコミュニケーションでは、
感情移入はいらない。
ただ相手を好きかどうか/好きでなかったとしても妥当かどうか、
しか関係ない。

(この好きかどうか、が、
芸能人ブログやツイッターが人気を博す理由である。
内容の妥当性はマストではない)



3. 説明ベタ

そもそも説明が下手な人がいる。
二人称でまず説明できない。
誰か特定の人に説明するのが下手な人は、
一人称という自分の中に籠っている。
それを外に出す練習をしなければならない。

あなたに説明できるようになったら、
第三者に説明すればいい。

誰かが誰かに説明している様を見て、
退屈せずに興味を持てるようにすること。
二人称では好きというファクターが説明を誤魔化していた。
(好きな人の説明なら、退屈でもいつまでも聞いていたい)
三人称ではそのごまかしが通用しないから、
説明素材そのもので勝負する必要がある。

つまり、説明ベタは、
三人称における説明を、二人称または一人称の説明と、
混同している。


4. メアリースー

一人称は、いくらでも甘えが効く。
自分を甘やかしたい。
苦労せずに一発で成功したい。
厳しいのは嫌。温室育ちにしたい。
にもかかわらず、俺ツエーがいい。

これを三人称で見ると、アホかと思う。
俺がちんこ出しながら「楽して最強になりたい!」と叫んでいても、
全員無視だ。それどころか石を投げるだろう。

メアリースーは、一人称の甘えを、
そうと気づかずに、三人称の世界に持ってきてしまうことだ。

なお、一人称小説では、メアリースーがいても認識しにくい。
私小説というのは、基本「俺は悪くない」ということを言っているように、
思える。



さて。

随分一人称小説をディスったような気もする。
一人称小説では、一人称の甘えを共有しやすいメディアだと思う。
波長が合う合わないがあるだけでね。
僕は、映画、漫画、ドラマ、コントの、
三人称育ちなので、一人称小説の世界はよくわからないし、
好きでもなんでもない。
一人の世界に籠ってないで、大衆の目の前で価値あることをしてみろや、
とつい思ってしまう。
ということで、脚本家は一人称小説が苦手かもしれない。


ちなみに、脚本にも一人称が部分的にある。
人物のナレーション(ボイスオーバー)である。
これの多用は三人称形式を台無しにすることについては、
過去に議論ずみだ。


我々は、三人称世界で勝負している。
一人称、二人称をそこに持ち込む混同が、
初心者の認識不足、力量不足であると言える。


ということで、この項もう少し続けます。
posted by おおおかとしひこ at 12:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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