2015年12月23日

最近のCMが糞なのは、三人称の世界を二人称と混同しているから

二人称の話、まだ続けます。

最近のCMは糞だ。
面白くない。
ワクワクするエンターテイメントになっていない。
予算がないこともあるけど、ちっとも素敵じゃない。
僕はバブル時代のCMで十代を過ごし、
90年代の表現濫熟期で二十代を過ごしてCM業界に入ったので、
今オンエアしてるCMの99.9%ぐらいが糞に見える。
だからテレビはもう見ない。怒ったり悲しくなるだけだからだ。
CMは夢を見せるものだ。
今はそうなっていない。

何故か。二人称と三人称を混同しているからだ。


もう一度整理しよう。

二人称とは、わたしがあなたとコミュニケーションすることである。
三人称とは、誰かと誰かがコミュニケーションしているのを見ることである。

二人称は、カメラ目線だ。あなたと目をあわせないで喋ることはない。
三人称は、カメラ目線をしてはいけない。覗き見の前提が壊れるからだ。

二人称は、コミュニケーションの前提は好きかどうか、個人的価値があるかだ。
三人称は、誰かと誰かがやっていることを見て、感情移入することで、面白くなってくる。


CMは、はじまったとき、二人称だった。
「お知らせ」と呼ばれた。
とある企業が、消費者であるあなたに、
この商品はいいですよ、とオススメするコミュニケーションであった。

ところがその原始的なことでは誰も見向きもしない。
だから、誰もが好きな人=芸能人に代わりにカメラ目線で喋らせる。
これを、タレントストレートトークという。
昔から今に至るまでポピュラーなものだ。
この契約金が何千万から億であり、
タレント収入の殆どを占めている。
ちなみに、海外でこのスタイルはない。
タレントがストレートトークするのは、三流だという意識が、
俳優側にも視聴者側にもあるからである。
クライアントも、そこに何千万もの価値を見いださない。
タレントストレートトークは、日本で発達した形式だ。

さて、この二人称にはいくつかの表現ルールがある。

カメラ目線であること。笑顔であること。滑舌がよいこと。
服をこざっぱりさせること。明るいこと。
正面を向くこと。
文字を出すなら、くっきり読みやすく、正々堂々とすること。

挨拶に必要なことと、大体同じだ。
営業に必要なことと、大体同じだ。


次に、80年代、CMはエンターテイメントをはじめた。
ドラマ仕立て、コント仕立てである。
ただのお知らせCMだと思うから人は見てくれない。
ドラマが始まったのか?コントが始まったのか?
と思わせて人々の目を引き付ける。
どうなるんだろうと先を気にさせて、
見事に落とす。
しかも、その落ちが商品であることで、
なるほどね、上手く落としたね、
という方法論である。

これには、いくつかの表現ルールがある。

CMだと勘づかれてはならないこと。
CMだと思うから人は見てくれない、というのが前提だ。
従って、最初からネタバレしてはならない。
どうなるんだろうと思わせて、なるほど、と思わせなくてはならない。
従って、ネタバレ禁止である。
商品は最後まで出ず、その落ちの落差こそが、
作品のテーマであり、凄さである。
(業界では、遠投という。なるべく遠くからストライクを取りに行く)

ドラマ仕立て、コント仕立てなのだから、
三人称スタイルである。
カメラ目線はない。
誰かと誰かが何かをしていて、
そこに感情移入することが、眼目だ。
(感情移入とは、このブログで散々議論しているが、
自分と関係ない人にも、自分が嫌いな人にも起こる。
自分と近い人にだけ起こるものではない。
むしろ、ターゲットと近い人にだけ起こると勘違いするのは三流である)

感情移入とは、
その人の置かれたシチュエーションとその行方に興味をもち、
その人の事情を理解して、仲間意識が芽生え、
その人のやりたいことが実現した瞬間、
他人なのにわがことのように喜ぶことである。

自分と近い人にだけ感情移入が起こると勘違いしている人は、
仲間意識がそこにしか芽生えないという勘違いだ。
仲間は、異性とも、違う世代とも、違う文化圏とも、違う国や宗教や星でも、
出来るものである。

また、そもそもとあるストーリーで引き付けるのだから、
必ずしも明るい、幸せな世界観とは限らない。
ストーリーとは逆境の克服だから、
大抵は暗いところからの、明るいところへの脱出だ。

そして、最後の最後に、カメラ目線で、センターにコピーと商品を置く。
これが落ちであるからだ。
カーテンコールと、エンドロールと、同じ意味である。



このことを理解していない素人が、
業界にとても増えた。
広告代理店にも、企業の広告宣伝部にも、プロダクションにも。
(ひとつの仕事に関わる人が増えて、
素人の比率が増えて、玄人の発言力が相対的に減っていることも含む)

素人は、二人称がCMだと何も考えず思っている。
玄人は、三人称世界こそ表現だと知っている。

これがぶつかりあう。

三人称世界なのに、
トップカットから商品を出したりロゴを出す。(ネタバレ)
カメラ目線になったり、コピーをセンターに置く。(二人称)
逆境なのに、明るくしなければならない。(挨拶と同様)
役に合うかどうかより、好感度でキャストを選ぶ。(感情移入と好感度を混同)
感情の表現なのに、滑舌を求める。(同上)

結果、三人称世界で最も重要な、感情移入が失われてしまう。
三人称が二人称化し、ネタバレ上等になり、
「そこに入り込んでいく面白さ」がなくなるからである。



そもそも、二人称しかCMではない、と素人は見識が浅いのかも知れない。
だから我々玄人が三人称をつくろうと思っても、
二人称の常識で改訂の指示を出してくるのかも知れない。

ということで、最近のCMはお知らせレベルの、糞ばかりなのである。

僕がCMっていいな、と思ったのは、
JR東海の、シンデレラエクスプレスのシリーズからだ。
ドラマ仕立てがCMになる、感情移入がCMになる、
と信じたからこそ、CMを愛し、その業界に飛び込んだのだ。

どうも、80年代からの伝統が、ここ10年著しく崩壊している。
クライアントの靴を舐めるような仕事が横行している。
クライアントは靴を舐めて欲しいのではない。
ヒットを打ちたいのだ。
ヒットとはどういう構造かを説明し、説得できない素人が増えたから、
素人でも分かる二人称スタイルしか、作れなくなっているのである。

たとえば。

素人やタレントが出演し、白バックで、カメラ目線で、
商品の使用実感を語り、
センターにコピーが入り、商品が入るのは、
糞である。
二人称だからだ。

それは、殆どスタイルに違いがない。
ただのお知らせだ。

CM業界は、今、お知らせ業界になっている。


僕は、面白いストーリーという、三人称の業界に入ったつもりなのだが。
ということで、
現状批判はこのへんにして、
三人称世界の話を続ける、通常運転に戻ります。
posted by おおおかとしひこ at 12:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック