通常運転に戻ろうと思ったら、
二人称という素人表現が、
映画の興行を左右する広告宣伝にまで及んでいることに、
気づいてしまった。
二人称の話、まだ続けます。
以前から酷評している、映画の宣伝ポスターのやり方がある。
「有名芸能人を、カメラ目線で並べる」である。
これは、三人称世界の常識を外れた、大問題だということだ。
カメラ目線で並べるのは二人称によるコミュニケーションであり、
それは三人称世界では、
本編の前後のご挨拶のレベルであることだ。
映画のウリは何か?
ストーリーである。
出演者ではない。
出演者が客寄せパンダになるのは構わないが、
我々は映画を観るとき、
出演者ではなくその役を見る。
その役が陥ったシチュエーションを見る。
その役がした決断や行動を見て、
その役が得たテーマを見る。
それがストーリーを見るということである。
映画はストーリーだ。
それを、ネタバレしないように、
上手く「面白そう」と宣伝しなければならない。
やり方は、3つある。
一幕を利用する。陥ったシチュエーションを見せる。
ジュラシックパークで言えば、
「恐竜を現代に復活させる技術が出来、
生きた恐竜の島、ジュラシックパークという遊園地が出来た。
だが嵐の夜、恐竜たちを制御する電線が壊れた。
嵐で島に閉じ込められた人々。彼らは無事に脱出出来るのか?」
だ。
二幕を利用する。お楽しみポイントや行動や決断を見せる。
ジュラシックパークで言えば、
恐竜に襲われ、逃げ惑うシーン(Tレックス登場シーン)や、
傷ついて倒れた恐竜を看護するシーン、
小さい奴に襲われて厨房に行くシーンなどを見せて面白そうと思わせる。
三幕を利用する。テーマに関わることで興味をひく。
それが平凡でなく、新しいものであるとき、有効である。
ジュラシックパークで言えば、
「我々は勝手に生命を弄って良かったのか?」と博士が言うシーンだ。
(そんなのあったっけ)
つまり、
三幕構成の要件、
誘引、興奮、満足を、
それぞれ見せたり、意図的に隠していけばよいのである。
実際の宣伝は、
その出来の良いところにフォーカスするだろうけど。
ところが。
これを二人称だと素人が勘違いするから、
出演者全員を並べてカメラ目線にしてしまうのだ。
三人称世界の話を、二人称に矮小化してしまう。
素人は、その愚行に恐らく気づいていない。
ストーリーとは何かについてよく知らないから、
ご挨拶することが重要だと誤解する。
人気芸能人が出ることは、
たしかにニュースになる。
客の引きもよい。
しかしそれは、中身の面白さと何ら関係がない。
その俳優が脚本を読む力があるという保証がないからだ。
(ジョニー・デップ、ブラッド・ピット、トム・クルーズあたりは、
脚本を読む力が抜群だとよく言われる。
彼らが主演クラスを張る映画は、大抵面白い)
映画の宣伝は、中身の良さを伝えるべきだ。
僕は長年広告をやっているから、
中身のない商品でも広告で売れ行きを左右する事実を見てきている。
映画の宣伝は、CMほど物量を打てない。
とするならば、
客寄せパンダに頼るのか、
ちゃんと内容を面白そうだと思ってもらうのかだ。
前者が増えすぎて、
今、後者を誠実にやる広告が減っていると思う。
糞みたいな内容を前者で広告しては失敗し、
後者のやり方でやるべき佳作も、前者のやり方にしてしまい、
区別がつかなくさせてしまう。
だからどれを見ても詰まらない映画だらけだ。
だから映画が面白くないものだと、
思われ始めてる危機感がある。
それは、宣伝部が素人で、
三人称表現と、二人称表現とを、混同しているからではないか?
という仮説が、残念ながら成り立ってしまうのである。
ちなみに、「いけちゃんとぼく」の予告とポスターは最悪の糞である。
僕が大反対したにも関わらず、宣伝部が強行した糞宣伝を、
僕は一生許さない。
ちなみに、ドラマ風魔の宣伝も、僕が関わりたかったのだが、
そんな金はなかった。(笑)
DVDのジャケとかさ、サイトのデザインとかさ、CMとかさ、
もっとちゃんとやりたかったよ…俺は本編だけで精一杯さ。
かつての僕は、ストーリーとは何かについて、
上手く話すことが出来なかった。
次やることは、次回作の宣伝を上手くやることだろうね。
2015年12月23日
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