2015年12月24日

三人称一元視点/多元視点

ということで三人称。

小説入門的なものを調べていたら、
三人称一元視点、三人称多元視点という分類があることを知った。


三人称は外のカメラからだから、
一元も多元もねえだろ、
と僕は映画畑から思ったのだが、
実情は違うようだ。

なんと、三人称一元視点では、
一元の一人を主人公とすれば、
視点は絶対三人称と、主人公の内部にも入っていいんですって。
(分類によっては異なるかも)
つまり、映画的でありながら、
彼の心理状態の独白、内部の記述を許すそうなのだ。

こんなん楽勝やんけ。


また、三人称多元視点では、
それを一人に限らず、
全員の内部に地の文が入ることを許可するのだそうだ。
「神の視点」ってそういうことか。
僕はずっとカメラのことだと勘違いしていたよ。

AはBを殴った。←三人称
AはBを日頃からムカついていたからだ。←A視点
Bは何故殴られたのか分からない。痛みと不条理だけが彼を混乱させた。←B視点

がオッケーってことさ。
これが映画的三人称なら、

AがBを殴る。
B「いって!…な、なにをするんだよ!」
A「前からムカついてたんだよ!」

てところか。
あまりにも自分の気持ちを説明台詞にしていて、
上手な脚本ではない(上手な脚本なら、
前のシーンでAがムカついていること、Bが無自覚なことを示し、
このシーンで同じことをBがして、カッとなって殴る。
つまり説明台詞を使わずにドラマを続けられる)
が、
ともかく、映画では、ト書きに彼らの気持ちを直接書くことは出来ない。
カメラが撮れないからである。


それが三人称多元視点では、オッケーなんですってよ。

小説のほうが、楽ですわ。
シナリオのほうが、縛りが超キツイってことで。


勿論、三人称多元視点を楽な方に使う作家もいないだろう。
進行に合わせて効果的に使うのみだとは思うけど。

シナリオは、()で括ったような、上手なやり方をしなければならない。
それはひとつの正解であるが、絶対の正解ではない。
別解も沢山あり得る。

ダメだけがあり、正解がないところが、
シナリオの一番難しいところかもね。


三人称一元/多元が、地の文で内面に入ることを許すのなら、
シナリオは、それを許されていない、
三人称外面視点とでも呼んで区別しないとね。
(分類によっては、最後のみを三人称とする場合もあります)
posted by おおおかとしひこ at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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