ということで三人称。
小説入門的なものを調べていたら、
三人称一元視点、三人称多元視点という分類があることを知った。
三人称は外のカメラからだから、
一元も多元もねえだろ、
と僕は映画畑から思ったのだが、
実情は違うようだ。
なんと、三人称一元視点では、
一元の一人を主人公とすれば、
視点は絶対三人称と、主人公の内部にも入っていいんですって。
(分類によっては異なるかも)
つまり、映画的でありながら、
彼の心理状態の独白、内部の記述を許すそうなのだ。
こんなん楽勝やんけ。
また、三人称多元視点では、
それを一人に限らず、
全員の内部に地の文が入ることを許可するのだそうだ。
「神の視点」ってそういうことか。
僕はずっとカメラのことだと勘違いしていたよ。
AはBを殴った。←三人称
AはBを日頃からムカついていたからだ。←A視点
Bは何故殴られたのか分からない。痛みと不条理だけが彼を混乱させた。←B視点
がオッケーってことさ。
これが映画的三人称なら、
AがBを殴る。
B「いって!…な、なにをするんだよ!」
A「前からムカついてたんだよ!」
てところか。
あまりにも自分の気持ちを説明台詞にしていて、
上手な脚本ではない(上手な脚本なら、
前のシーンでAがムカついていること、Bが無自覚なことを示し、
このシーンで同じことをBがして、カッとなって殴る。
つまり説明台詞を使わずにドラマを続けられる)
が、
ともかく、映画では、ト書きに彼らの気持ちを直接書くことは出来ない。
カメラが撮れないからである。
それが三人称多元視点では、オッケーなんですってよ。
小説のほうが、楽ですわ。
シナリオのほうが、縛りが超キツイってことで。
勿論、三人称多元視点を楽な方に使う作家もいないだろう。
進行に合わせて効果的に使うのみだとは思うけど。
シナリオは、()で括ったような、上手なやり方をしなければならない。
それはひとつの正解であるが、絶対の正解ではない。
別解も沢山あり得る。
ダメだけがあり、正解がないところが、
シナリオの一番難しいところかもね。
三人称一元/多元が、地の文で内面に入ることを許すのなら、
シナリオは、それを許されていない、
三人称外面視点とでも呼んで区別しないとね。
(分類によっては、最後のみを三人称とする場合もあります)
2015年12月24日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック