好きな子に告白することを考えよう。
とてもオドオドするものだ。
自分の主張に揺れが出て、
保険の何かを打っておきたくなる。
それは自信がないからである。
作品というものは、
ひとつのテーマに貫かれていなければならない。
そんなこと、誰でも知識としては知っている。
しかし、書く側に回ってみると、
そんなに綺麗にはいかないものである。
三幕構成はスッキリしないし、
焦点はよれてるし、
本筋と関係ないサブプロットでお茶を濁し、
そっちのほうが面白くなってきたと思ったら、
それも困って放置して。
つまり、あちらこちらに話がいったまま、
ついに一貫したものが分からなくなってゆく。
当初はAがテーマでそれについて書こうと思っていたのだが、
途中でBについて本当は書きたかったのだとわかり、
いやいや、これを貫く真のテーマはCなのだと、
最後らへんで気づいて書き直してみたり。
そうやって作ったものが、
一貫したテーマで貫かれている訳がない。
継ぎ足しの九竜城みたいなもんだ。
探索の迷路としては面白いが、
一気に見る二時間という娯楽ではない。
逆に、作品に必要な一貫したテーマとは、
二時間で一気に見るために必要なのだ。
原因は何か。
あなたが、自信がないことにある。
当初書こうとしたAというテーマを閃いたとき、
あなたは雷に打たれ、世紀の傑作を書き始めたはずだ。
ところが、
作っているうちに自信がなくなってきたのだ。
これでいいのか?と。
よくよく考えてみると穴があるように思われたり、
世の中的に大したテーマでないような気がしてくる。
特に思いついてから日が経つにつれ。
鉄は熱いうちに打てというが、
冷めてくると厄介だ。
勿論、あなたは熱いうちに完成させてしまう「勢い」という力もない。
ないから、冷めてしまって、
迷うのである。
(若いうちに多作出来ると、勢いで当たりを引くこともある)
さて、その冷めた鉄に再び火を入れるために、
自信のなくなったAではなく、
Bという別解釈ならいけるのではないかと閃く。
そこで一部を解凍して、
再び創作の熱が生まれて多少は作れるのだが、
またどこかで勢いを失う。
以下、C、D…である。
二時間で一気見する作品は、
首尾一貫したXというテーマで貫かれていなければならない。
冒頭はXの欠落からはじまり、
中盤の冒険を経て、
最終的にXを得る。
そのことで、Xを間接的に主張するのである。
全ての要素は、それに従って無駄なく配置されている。
たとえば敵は-Xの要素があり、主人公と真逆であったり、
サブ人物や主人公のサブプロットでは、
Xの付帯問題、X2、X3がテーマになっている(サブテーマ)。
これらによって、
作品全体が、Xということを語ることに特化している。
YやZなどという関係ない要素を排除することで無駄なくし、
限られた時間を、Xという価値あるテーマを十二分に議論するために、
充実して使うのである。
あなたがこの理想形に到達しないのは、
Xが、AなのかBなのか、CなのかDなのか分からないからである。
あるいは、XにABCD全てを代入しようとしているのである。
(詰め込みすぎ)
何故か。
ABCDどれもが、Xの堂々たるテーマ性よりも、
弱く見えるからである。
A単独では弱いからBを足し、それでも弱いからCを足し。
だから不安になって、ABCD全部入りならば、
三本の矢のように、Xに総合力で勝てるのではないかと思い込ませるのだ。
それでも勝てないなら、三時間に尺を伸ばし、
ABCDEFGぐらいの映画にして…
これが、あなたが最後まで書けなくなる理由のひとつだ。
どこが間違いだったのか。
初手のAだ。
これが弱かったから、あなたは迷路に入ったのだ。
いや、ひょっとしたら、
Aを徹底的に掘っていれば、
Xに匹敵するよいテーマだったかも知れない。
Aが弱い、という判断がミスなのかも知れないのである。
つまり、
Aが弱いか、
Aが弱いと思い込むこと、
どちらかが起こって、
あなたは迷路に入ったのだ。
ということは、
あなたがやることはひとつだ。
Aを完成させる事である。
AをBで粉飾して上塗りするから、
へんてこなバラバラのものが出来てしまう。
だったら、弱くともAを完成させるべきだ。
反対の要素-Aや、Aの付帯問題A2、3などを落ち着いて分析するべきだ。
それをじっくりやることが怖いから、
BCに逃げてしまうのだ。
本妻との子作りが怖くて浮気する男みたいだね。
ということは、Aを完成させたら、
またBやCで一本作ればいいのだのよ。
一端、Aを大枠でいいから、完成させよう。
そのサブプロットに、Aと関係ないBCを入れてはいけない。
Aでやりきるのは、自信だ。
我々はそもそも自信のないコミュ障だから、
やっぱり自信がなくなるのだが。
その時は自信に頼らなくてもいい。
自分はこれで勝負する、という覚悟に頼れ。
告白だって同じさ。
自信がある人は上手くいく。
自信がない人の告白なんて、その手を取ろうとする女はいない。
それでも女がその手を取るのは、
覚悟を見て、未来を想像するからである。
まあ、どちらから見ても一種の賭けだよね。
そのギャンブルに負けたら?
別れて清算し、次のBを作ればいいじゃないか。
自分が何で勝負しようとしてるのか、
自分自身が見えていない人が多い。
だから不安になり、迷い、自信を失う。
もし迷うのなら、
ABCDEFGを、ひとつひとつ並べて見ることをオススメする。
勝負権がないなら、
新たなHを思いつくまで封印するといい。
Hが全てを含むように考えてはいけない。
創作は、捨てることから生まれるので、
AからGに含まれ得ないもので考えた方がいい。
以下雑談。
最近、競合プレゼンのVコンで酷い仕事をさせられた。
3分ぐらいのビデオ(50カットぐらい)を、構成が三回変わって、
そのたびにテーマが変わり、頭から繋ぎ直しだった。
AがBになり、Cになった。
僕は一応プロなので、AがBに変われば、
Bと矛盾するAを捨てる。
Bの要素だけで繋ぐ。
それがCに変われば、ニコニコしながらCに作り替える。
最初の編集は跡形も残っていない。
内心は勿論はらわた煮えくり返っている。
ちゃんと詰めてから監督に投げろやと。
指示をする人はバカなのかなあと思っていたのだが、
分かってきた。
こいつら、全然自信がないんだと。
女は絶対その手を取らないよ。
だってそれでいく覚悟がないんだもん。
ちなみに二日やって後輩の監督に引き渡すことになった。
彼はその後36時間完徹で、
何回かの編集がえをさせられたそうな。
で、最後の最後にテーマ曲がクイーンの洋楽から、
日本の大演歌に変わって、JからKになったらしい。
最初からそれでやれや。
映像というものは音楽で繋ぐものだ。
その背骨が変わったら全部変わるぞ。
どんでん返しは作品内では面白いが、
現実の仕事では何も面白くないね。
勝てば相当デカイプレゼンらしいが、負けたら俺たち反乱な。
2015年12月26日
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