2015年12月26日

テーマとは、ひとつに決める覚悟のこと

好きな子に告白することを考えよう。
とてもオドオドするものだ。
自分の主張に揺れが出て、
保険の何かを打っておきたくなる。

それは自信がないからである。


作品というものは、
ひとつのテーマに貫かれていなければならない。
そんなこと、誰でも知識としては知っている。

しかし、書く側に回ってみると、
そんなに綺麗にはいかないものである。

三幕構成はスッキリしないし、
焦点はよれてるし、
本筋と関係ないサブプロットでお茶を濁し、
そっちのほうが面白くなってきたと思ったら、
それも困って放置して。
つまり、あちらこちらに話がいったまま、
ついに一貫したものが分からなくなってゆく。
当初はAがテーマでそれについて書こうと思っていたのだが、
途中でBについて本当は書きたかったのだとわかり、
いやいや、これを貫く真のテーマはCなのだと、
最後らへんで気づいて書き直してみたり。

そうやって作ったものが、
一貫したテーマで貫かれている訳がない。

継ぎ足しの九竜城みたいなもんだ。
探索の迷路としては面白いが、
一気に見る二時間という娯楽ではない。
逆に、作品に必要な一貫したテーマとは、
二時間で一気に見るために必要なのだ。

原因は何か。

あなたが、自信がないことにある。


当初書こうとしたAというテーマを閃いたとき、
あなたは雷に打たれ、世紀の傑作を書き始めたはずだ。
ところが、
作っているうちに自信がなくなってきたのだ。
これでいいのか?と。
よくよく考えてみると穴があるように思われたり、
世の中的に大したテーマでないような気がしてくる。
特に思いついてから日が経つにつれ。

鉄は熱いうちに打てというが、
冷めてくると厄介だ。
勿論、あなたは熱いうちに完成させてしまう「勢い」という力もない。
ないから、冷めてしまって、
迷うのである。
(若いうちに多作出来ると、勢いで当たりを引くこともある)

さて、その冷めた鉄に再び火を入れるために、
自信のなくなったAではなく、
Bという別解釈ならいけるのではないかと閃く。
そこで一部を解凍して、
再び創作の熱が生まれて多少は作れるのだが、
またどこかで勢いを失う。
以下、C、D…である。


二時間で一気見する作品は、
首尾一貫したXというテーマで貫かれていなければならない。
冒頭はXの欠落からはじまり、
中盤の冒険を経て、
最終的にXを得る。
そのことで、Xを間接的に主張するのである。
全ての要素は、それに従って無駄なく配置されている。
たとえば敵は-Xの要素があり、主人公と真逆であったり、
サブ人物や主人公のサブプロットでは、
Xの付帯問題、X2、X3がテーマになっている(サブテーマ)。
これらによって、
作品全体が、Xということを語ることに特化している。
YやZなどという関係ない要素を排除することで無駄なくし、
限られた時間を、Xという価値あるテーマを十二分に議論するために、
充実して使うのである。


あなたがこの理想形に到達しないのは、
Xが、AなのかBなのか、CなのかDなのか分からないからである。
あるいは、XにABCD全てを代入しようとしているのである。
(詰め込みすぎ)
何故か。
ABCDどれもが、Xの堂々たるテーマ性よりも、
弱く見えるからである。
A単独では弱いからBを足し、それでも弱いからCを足し。

だから不安になって、ABCD全部入りならば、
三本の矢のように、Xに総合力で勝てるのではないかと思い込ませるのだ。

それでも勝てないなら、三時間に尺を伸ばし、
ABCDEFGぐらいの映画にして…

これが、あなたが最後まで書けなくなる理由のひとつだ。


どこが間違いだったのか。
初手のAだ。
これが弱かったから、あなたは迷路に入ったのだ。
いや、ひょっとしたら、
Aを徹底的に掘っていれば、
Xに匹敵するよいテーマだったかも知れない。
Aが弱い、という判断がミスなのかも知れないのである。

つまり、
Aが弱いか、
Aが弱いと思い込むこと、
どちらかが起こって、
あなたは迷路に入ったのだ。

ということは、
あなたがやることはひとつだ。

Aを完成させる事である。


AをBで粉飾して上塗りするから、
へんてこなバラバラのものが出来てしまう。
だったら、弱くともAを完成させるべきだ。
反対の要素-Aや、Aの付帯問題A2、3などを落ち着いて分析するべきだ。
それをじっくりやることが怖いから、
BCに逃げてしまうのだ。
本妻との子作りが怖くて浮気する男みたいだね。

ということは、Aを完成させたら、
またBやCで一本作ればいいのだのよ。


一端、Aを大枠でいいから、完成させよう。
そのサブプロットに、Aと関係ないBCを入れてはいけない。

Aでやりきるのは、自信だ。
我々はそもそも自信のないコミュ障だから、
やっぱり自信がなくなるのだが。

その時は自信に頼らなくてもいい。
自分はこれで勝負する、という覚悟に頼れ。
告白だって同じさ。
自信がある人は上手くいく。
自信がない人の告白なんて、その手を取ろうとする女はいない。
それでも女がその手を取るのは、
覚悟を見て、未来を想像するからである。
まあ、どちらから見ても一種の賭けだよね。

そのギャンブルに負けたら?
別れて清算し、次のBを作ればいいじゃないか。



自分が何で勝負しようとしてるのか、
自分自身が見えていない人が多い。
だから不安になり、迷い、自信を失う。

もし迷うのなら、
ABCDEFGを、ひとつひとつ並べて見ることをオススメする。
勝負権がないなら、
新たなHを思いつくまで封印するといい。
Hが全てを含むように考えてはいけない。
創作は、捨てることから生まれるので、
AからGに含まれ得ないもので考えた方がいい。



以下雑談。

最近、競合プレゼンのVコンで酷い仕事をさせられた。
3分ぐらいのビデオ(50カットぐらい)を、構成が三回変わって、
そのたびにテーマが変わり、頭から繋ぎ直しだった。
AがBになり、Cになった。
僕は一応プロなので、AがBに変われば、
Bと矛盾するAを捨てる。
Bの要素だけで繋ぐ。
それがCに変われば、ニコニコしながらCに作り替える。
最初の編集は跡形も残っていない。
内心は勿論はらわた煮えくり返っている。
ちゃんと詰めてから監督に投げろやと。

指示をする人はバカなのかなあと思っていたのだが、
分かってきた。
こいつら、全然自信がないんだと。

女は絶対その手を取らないよ。
だってそれでいく覚悟がないんだもん。

ちなみに二日やって後輩の監督に引き渡すことになった。
彼はその後36時間完徹で、
何回かの編集がえをさせられたそうな。

で、最後の最後にテーマ曲がクイーンの洋楽から、
日本の大演歌に変わって、JからKになったらしい。
最初からそれでやれや。
映像というものは音楽で繋ぐものだ。
その背骨が変わったら全部変わるぞ。

どんでん返しは作品内では面白いが、
現実の仕事では何も面白くないね。
勝てば相当デカイプレゼンらしいが、負けたら俺たち反乱な。
posted by おおおかとしひこ at 15:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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